2018年1月15日月曜日

展示に難儀 ひのま3人展

とうとう明日で終了のひのま3人展、実は展示が大変だった。横地さんは牧内さんの愛知芸大からの友人で気心の分かり合った方。ところが私は知り合ったのが昨年の岐阜の彼の個展ということで未知数そのものの関係でした。
そして搬入日にはなんと50点を超えるほどの小品を持ってこられて、わたしたちは正直 どんな3人の展覧会にできるのかイメージが瓦解してしまった。・・・
横地さんの御歳は72歳、いくつかのお病気をお持ちで そのうえ昨年暮れに自転車にはねられコルセットを腰に巻きやっとやっと来場されたのだ。あまり全体にこうした空間にしようというお考えは無いようだった。

孫とのやり取りの中で触発されたというコラージュの小品群は まさに遊びで 自由で 何のこだわりのない楽しい作品であった。
ああ、この自由感と 現実にどう展示するかという問題は 作家横地氏の頭の中には全くないのだ! 
そしてその事情は長年の友人の牧内氏は心得ていた。
わたしもほんの半時間ほどでその事情は理解できた。牧内氏と私の2人で飾り付けをするしかないのだった。
結局 壁には収まり切れず写真のような空間となりました。
始まってみれば、横地画伯の教え子たち(若い女性ばかり!)が多く訪れ『先生っ!』『先生っ!』と華やかそのものであった。
なんとも 絵は作家のキャラクターだなと 思わざるを得なかった・・・

2018年1月6日土曜日

ひのま3人展

2018年、明けましておめでとうございます。寒い冬です。
11日より名古屋にて3人展を開催いたします。準備も万全と言いたいところですが、いつものように若干ブルーです。
展覧会は「ひのま3人展」といい、名古屋中区栄のギャラリー尋屋、(ひろやと読みます)松坂屋南館とパルコ東館の間にあるコンフォレスト尋屋というビルの5階にある画廊で開催します。3人展の”ひのま”は横地洋司氏と牧内則雄氏と私林正彦の頭文字で名付けました。暇な3人展ではありません。お二人はこの道の大先輩で私にとっては胸を借りる十両なようなものなんですが、フランクな人柄な人たちなので なんとなくゆるく準備に入ってしまって、いま痛い目を見る直前の状態です。
メンバーの牧内氏は実は私の従兄で小さい頃からあこがれのお兄ちゃんでした。絵はうまいし、なんたって笑わせてくれる面白い兄ちゃんだった!。いつしか同じ道を志していました。ところが、デッサンはいくらやってもとても足元にも及ばない。自然と抽象画の道に私は進むこととなったのです。そして40余年 一緒の空間で展示ができることは 感慨深いです。(カチッとした造形の前では依然としてブルーな思いですが...)
横地氏はその牧内さんの愛知芸術大学の先輩です。
私は初日1月11日とその土曜、日曜(13日、14日)に在廊を予定しております。
ぜひご高覧を。

2017年12月4日月曜日

直島銭湯

現代美術の初歩の鑑賞というテーマの街ゼミに関わって以来 「あの気持ちよさ」って何だろうと改めて考えている。
そんな折、瀬戸内の直島を訪れるチャンスがあった。ここには李禹煥美術館や大竹伸朗の作品がある。写真は大竹が飾った銭湯前の1ショット、入浴まではしなかったが 妙にうれしかった。はしゃいで彼の作品模型の入っているガチャをやってきた。戻ってホテルで見ると銭湯の中にあるという巨ゾウのフィギアとミニ風呂桶が入っていた。風呂入ればよかった。
彼の作品はそれ前の世代のアート(例えば、李禹煥)と違って、もっとポップでキッチュというのか俗で日常的なものの寄せ集めのごちゃごちゃ感!。楽しいアートだ。ハイレベルなところから急降下したみたいで、皮肉感もあるかな。そこがはしゃいでしまうところ。
さて、ここで出会えた一番はヤヌス・クネーリスだった。この地で滞在しながら制作(1996)したという作品は木や布、陶器などを鉛版?で巻いて、それを積み上げた作品であった。圧倒的なものの存在感が迫ってきて 思わず「おー!」と唸ってしまった。
やはり現代美術は自分の狭さからの解放感と自由のよろこびだろう。
振り返って 私といえば大竹のような遊び感覚は どうも持ち合わせていないようだし あそこまで自分を解き放せそうもない。もうちょっと古い世代の李やクネーリスの方向なんだろうが、あそこまで自分を徹底できない。・・・中途半端と言わざるを得ない、また描きながら考えていこう・・・

2017年11月29日水曜日

現代美術といわゆる“左翼“

先週 静かに開催していた平面領域展が閉幕した。原さん、桐生さんら中心に4~5人で2年おきに開催して 今回7回目であった。だからもう14年になる。初めの頃は若かったこともあって妙に反骨の思いで開催していたが この頃はそれこそ静かなものでフェードアウトが心配である。
「街ゼミ」参加の企画がこの展覧会中にあり 私は会場の一つ”犬塚画廊”で 初歩の現代美術鑑賞というミニゼミらしきものを仰せつかり、開催した。とかく現代美術は難解で敬遠されがちということで 少しでも一般の方とその距離を縮めようというものだ。
しかし 状況は複雑に屈折しているようだ。
「アバンギャルド(=前衛)」といえば現代美術の刺激的でちょっと懐かしい言葉だが、私の若い頃 左翼全盛で ≪日常の常識を無自覚に受け入れてはいけない!高い意識で生きろ!さもないと古い権威主義に陥るぞ≫と言われていたような気がする。誰に?・・よくわからないが社会に言われていた。
確かに 小難しい理屈を振りかざすゲイジュツがこの頃多かったし 我々も困ってた・・・
それがバブルの頃からか 急に何かが変わって 「何をそんな難しいこと言ってんの?」「まったく意味ない!」となってしまった。
日曜日の朝、結構見ていたTV番組で『関口宏のサンデーモーニング』があるが この間ネットでこの番組を 団塊世代の 左翼生き残りのための番組と言っていた。どうもバブル期ころから 「現実をどうやって生きるか」というテーマに社会が変わってしまって 「現実をどうすべきか」は全くの抽象論 どうでもいいことなのかもしれない。
だから抽象的な 議論は嫌われてしまうし、私もなんだかだんだん面倒くさくなってきた気もしてしまう。
事実 現代美術も 観念的なアートは少なくなり、気分発散系や視覚的においしい系やマンガ系が人気だ。ホワホワして幼稚ともいえる。・・・
結局 そのゼミは、5~6人中2人くらいの方が 抽象絵画のほうが好きですと言ってくれて 私は晴れて終了に至った。硬い左翼思想を担ぎ続ける気迫もないが アートの根本はやっぱり真摯な生きる姿勢だと思うしかない。

2017年11月7日火曜日

CAF.N展(埼玉近代美術館)明日から

トランプ米大統領の来日のため新宿4号線は全く動かなかった。首記展覧会に搬入するため毎年11月の第1月曜日は埼玉近代美術館に行くのだが、今年はちょっと違う出だしのようだ。まあ その後一時間弱で何事もなかったように高速は流れだして 無事展示を終えたのですが。

写真は今年の出品作。
タイトルは「時と格子」
人の運命のようなものについて考えながら 作りました。
さて皆様に何を感じていただけるか…

追記;実はこの夏 テレビで東京大空襲の番組を見て、感じることがあった。それがこの絵の動機なのだが。
ーーーピカソが世界に問うた無差別爆撃の「ゲルニカ」、それと同じような 否もっと酷い爆撃がその数年後に東京にあり またすぐ後には原爆の投下があった。その悲劇が ありつつも 今 私たちは生きている。忘れつつ、また乗り越えつつ・・・時が沈静化していく。
トランプ氏が日本を訪れ日米が親密になっていくのもいいが  何か忘れていけないものもあるように思う。

2017年10月20日金曜日

米作り

私は 長野県南部の山間地で零細な米つくりをしている。と 言えるほどの専門家でないのは前にも何度も言い訳している・・。
このところの気象変化には大いに苦労している。秋に雨が多く、比較的暖かい。この頃は稲刈り、脱穀、田おこしなど 田での仕事が多いのだが ぬかるんでしまい思うように仕事ができないのだ。とうとう田の半分はJA(農協)のコンバインに片付けていただいた。
米の出来も思うほどよろしくなく カメムシ被害(米に小さな斑点ができてしまいました。)を去年から受けている。また収穫後の米の保管もなにやらツナギ虫とやらが発生するらしく気を配らなければならない。ああ。
元々の農業者でないから 上辺の米つくりしか知らない、・・・すべてが後手後手でストレスがたまってしまう。
隣人のベテラン(と言っても3つほど年上なだけだが)に聞くと「毎年条件が変わるから なかなかうまく作れる年ばかりではないよ」と慰めてくれた。
知り合いには『絵を描きながら 米作り!』いいですね。と言っていただけるが、これでも苦労がたえないのですよ。

2017年10月12日木曜日

絵と言葉

ほんとに久しぶりに このページだ。
もしかして もうブログをやめようかとも思っていた。(かすかに)
過日 懐かしい友からブログ見てるよとメールをいただき なんだかとても不義理をしていたような不安を覚えてこのページを開いた。
フェイスブックなるものをやっては見たのだが、全く自分のペースを保てないので そちらは無精者で通すことにした。もしかするとブログのほうが僕には合っているのかもしれない。落ち着いて考えたり思ったことを書いたりできる。浮気もここまでか。
それからもう一つ ブログお休みの理由らしきものがあった。
絵の表現の出どころと言葉を扱う表現の出どころとが違うということがある。言葉の世界はかなり知の世界が(または概念)占めている。だから解析とか理解とか知識がいる。かなり疲れる・・そのわりに行きたい世界にたどり着けずどうどう巡り感がある。カッコつけてる割に底が浅いとわれながら思ってしまうんだ。
一方、絵は自分の中で知の世界を通り抜けないので直接的に何かが出てきそうに思うのだ。全く幼稚だったりするが理屈なしの快感がある。
感性頼りのところがあるので一本調子のところがあり、迷いに入るとなかなかスランプから抜けられないのだが。
今年の夏の初めころ 自分の世界が妙に観念的になった気がして 知を経由しない絵を描いてみたかったのだ。
今年のCAF.N展が近づいた。8月以降に描いた絵を出品するつもりであるが 果たして皆様はどう見ていただけるか・・・
図録に乗せた自分の絵の解説文はちょっと観念的でまずかったかな、とも思ったが 見る方の中には知の世界から絵に入る方もいると思うから、あえて書きました。