2017年2月18日土曜日

第17回現代の創造展

もう17回となる現代の創造展、地元の下伊那、飯田では最大の美術総合展である。今年も150人もの参加作家を得 明日からオープンとなる。
私たちの世代がいよいよ中心となって運営していく組織となってきた。一昔前の権威主義もだいぶ薄れてきたと思うが まだまだ自由な雰囲気の展覧会にはなっていない。それには 初心者層への指導が未だに師匠の弟子への教え的であるかもしれません。ある段階で対等の人間同士というリスペクトの関係が生まれないまま 形だけが生き続けてしまう。
この展覧会はそんな関係を引きずったものを早く断ち切っていきたいと私は願っている。

2017年2月7日火曜日

久しぶりの墓参

以前にも書いたことがあるが イタリア時代の絵の友人でしばらく前に亡くなった奴がいる。何と表現していいのか・・とにかく戦うことの嫌いな彼だった。だからだろうか彼はとても周りから好かれていたし 私もその一人だった。不思議なくらい人とは競わないから、最初会ったころは「どうやって生きていくんだろう」と不思議でならなかった。
ギター好きで、酒好きで、お人好し、彼のペルージアのアパートはいつも人でにぎやかだった。(日本人ばかりで 彼はなかなかイタリア語が上手くならなかった。)
やがて仕送りが終わり 日本に戻ってきた彼は だんだん悲しい運命に引き寄せられていった。夢のようなイタリアでの暮らしから 日本の厳しい現実の暮らしへの変換は 競う心を持ちたがらない彼には 苦しみを募らせずにはいられなかった。酒に癒しを求めた。写真はそのころ描いた彼の絵、心の痛みが伝わる・・・
私は飯田に住み、彼は佐倉だったので そう頻繁には会えなかったが よく日曜の夜 遅い時間に電話がかかってきたものだ。「また飲もう。」と言って切ったが長い電話はいつも酔っていたのであろう。もう一歩がんばれと周りは言ったが 最後は肝硬変で逝ってしまった。
確かに「弱い」と一言で言ってしまえばそれまでだが 我々日本の社会がだんだん人間を狭量にしていることにも気づき 手を打つべきだ。引きこもりや自殺は寛容さが社会にないからだ。一つの価値観で人を篩いにかけ ある意味の差別をしているではないか・・。
墓石を前に彼の葬式のことを思い出した。家族は密葬にする予定であったが 大変な数(20~30人)の友人が通夜から押しかけ、あげく家に容れきれなくなった。しかたなく彼の行きつけの飲み屋さんに行き 朝まで飲み、彼を偲んだのだった。
世には立派な葬式がたくさんあるだろうが あんな心のこもった葬式はほかになかったなと思い出し、ある意味幸せな人生だったのかもしれないと 今は言える。
墓石には平成14年1月16日没とあった。そうかもう15年なのか・・・合掌



2017年1月29日日曜日

大学受験の季節

もうとっくにこの感覚は忘れていた。そんな折 高校時代の美術班2年先輩の展覧会(陶芸家の奥様と二人展)があった。高1の時 私はその先輩の絵を長野県展で見て「あゝいい絵だな」と印象があったので、その後どうされているのか 気になっていた。
 複雑な想いが残ったと言っていいのだろうか、彼は(私も同じように歩んだが)芸大浪人を何年も苦しみ その後心機一転教育者として成功をおさめられたのだった。今は陶芸を楽しみながら奥様のアートを応援しているようであった。
 --- [過去のことを忘れることがあっても、「今」ある私は過去の積み重ね これからの人生は、「今」という瞬間の積み重ね そして、「今」の生き方はこれからの人生を変える力を持っている]---
このようにチラシには書かれていた。 
会場一部に飾られていた十数枚の石膏デッサンは十代後半から二十歳頃に描かれたもので素晴らしいできのものだった。おそらく当時の予備校のポスターになったであろうくらいの作品群だ。・・・正直 私はあの頃の先の見えない 寄る辺のない芸大受験生の暮らしを思い出さずにはいられなかった。忘れていた疼きだった。
高校のころ見た才能は 並々ならぬ努力を経てこれらのデッサンになっていたのであろう。・・・
ただ 私はあのころ考えていた。「このようなデッサンの勉強が自分のアートの道にどう繋がっていくのだろうか」と。そして 私をしてイタリアに行かせた。デッサンの達人の次はどうなるのか?その頃の芸大にどうみても答えはなかったのだ。
彼は達人となったが、運も悪かった。病気で受験生を続けることもできず、絵描きの道を 一先ず断念した。(先輩はその後その深い体験を糧に 素晴らしい教育者となられたことには 敬意を示さずにはいられないし、これからその道に再び向かうかもしれない。)
あのころ、たしか3000人の受験生がいて 合格は40人だったかな。運の悪い人も出てきてもおかしくない・・・
あの時 俺たちは、 ほんとは権威主義からもっともっと自由になって、美術をもっと広く捉えているべきだった。そうすれば若い感性はアートをもっと人間や社会に結び付け考えることができ いい作家がもっとたくさん誕生しただろう。修行を経なければたどり着けない道だけがアートじゃないと思うし 優しさは暮らしの些細な中にもあるはずだ。一般の人ももっと美術が生活の中に入って 今の不寛容な社会を変えたかもしれない。そう出来得なかったのだ。
あの45年前に見た優しい感じの絵が 復活すると信じる。


2017年1月13日金曜日

雪中に仕事部屋にとどまる

二~三日前から天気予報が怪しくなってきたと思ったら 今日は雪だ。去年の11月の終わりに降ってから ずっと天気が良かったのになんとも残念なことになってきた。
娘は明日がセンター試験なのでひと際ボヤいていた。どうもこの降り方では積もるかもしれないな。
実は私も 赤津侃氏企画による第2回「絵画と平面の現代と未来展」に参加のため 明日銀座に向かう予定だった。しかしこれでは行かないことが正しい。
去年もこの時期 銀座のグループ展に参加していて 雪に混乱させられた。
会期の早朝 中央高速バスのバス停で絵を抱えて待っていると 雪がだんだん強くなってきた。天気予報は山梨方面山地が雪になるだろうとのことであったが まさか中央高速が不通になるなんて考えもしなかった。バス会社の方がわざわざバス停まで来てそのことを待っている私たちに告げたのだった。
その展覧会の私のスペースは空っぽだ。何としてでも行かなくてはならない・・・
車で諏訪まで行ってその後電車という手を考えたが 途中で電車も不通になったというニュースをきいた。むー・・
しかたなく飯田のバスセンターに引き返すと名古屋行のバスはまだ動いているという。そうだ、新幹線でいこう。そうして、バスに飛び乗り 何とか見通しをつけたのだった。バスの中から家に電話をすると 妻が「いったいどこにいるの!?」とびっくりしていた。幸い昼過ぎにギャラリーについて事なきをえたが 一体いくらかかっただろうか・・・
そんな経験から 明日はストーブを抱え 仕事部屋で 絵を描くことにした。予定通り着くかわからぬが 絵は宅急便で送ってしまおう。

2017年1月8日日曜日

第4回若造展を見る

明けましておめでとうございます。本年の初ページでございます。
一昨日より長野県飯田創造館にて首記展覧会が開催され 見に行ってきました。この近辺(伊那谷南部)にゆかりある20代 30代が中心になった作品展で私はとても気にしている企画の展覧会です。というのも実社会でもそうですが 50~60歳ころを境にシキタリのようなもの(方法論?)が途切れているように思うからです。
絵の世界では昔からテーマのようにとらえている「芸術」を大それたものと避けて イラスト的な入口で作品を制作し なかなか本質論に入って行きたがらないように思える。 私としてはもどかしい。・・・
確かに大人たちの作品はいかにも芸術に向き合っているようにしているが なんか空虚な重苦しさだけではないか・・・とも言えなくもない。 そんなわけでこのあたりの問題をフレッシュな作家たちがどう展開しどう深堀りしようとしているのか とても興味深いというわけである。
上記の流れで特に注目していた正村とも奈さんが 昨年の秋遅く突然自死されたと聞いた。 おおきなショックを受けた。
作品の特別コーナーが設けられ遺作、スケッチブックなどが展示されていた。
「どうして?」の問いからそれらを長く見入ってしまった。彼女の才能を深く感じ入ったが、なぜ?の答えなど私にわかるわけもない。
感受性はとても豊かで 若々しいかわいらしさやユーモアもあった。・・・なのになぜ?
キーンホルツという作家が好きだと言っていたが その中には怖い怖いサイコ的なものがある。そんな共鳴があったのだろうか?
冥福を祈る。合唱。


2016年12月14日水曜日

nebraskaを見る

なかなか映画館に行くことはなくなってしまった。
そんなこの頃 テレビで「ネブラスカ」という映画をやっていて 何気なく見入ってしまい、そして心にしみた。
第一に白黒映画はとてもピュアーな感じで好きだ。案の定主人公は優しそうな(うだつも上がらないが)男で、その父親がボケも入ったようなアメリカン頑固老人。
ある日宝くじが当たったから換金にネブラスカまで歩いて行くと言いだす。しかしそれは殆ど詐欺まがいの話だ。母は口汚くののしるばかり・・男はかわいそうに思い父を車に乗せ旅に出る。ロードムービーである。父のいろいろな思い出話が出てきたり 父の親せきの家に寄ったり 昔の友人がカネをめぐって登場したり・・・この手の展開は好きだ。
そして知らず知らず温かな気持ちになっていく。かわいいばあちゃん(母親)の悪態には笑ってしまた。
出来のいい兄ちゃんと一緒に父の悪友に仕返しするためにコンプレッサーを盗むシーンもよかったなー。
是枝監督の映画もそうだが最近の映画は ほんの些細な家族の幸せを扱っていて リアルでそして暖かい視点がうれしい。

2016年12月9日金曜日

出会い

50年ぶりかな・・弁天島に来たのは。
ギャラリー風蘭の個展の初日 ブロンドの男性が訪れてくれた。言葉が通じるかなと思いつつ話しかけると 日本語の返事が返ってきて ほっとした。
暫くし 私の経歴を見ていた彼は「ペルージアですか?」と聞いた。「はい」と答えたその時から 彼はイタリア語でドンドン話しかけてきた。ほとんど反射的に私も対応したのだが 相当錆びついたイタリア語なので しどろもどろであった。彼は北欧の方でなんとペルージアのイタリア語外人大学に行っていたのだそうである。時代は異なっていたが私もそこでイタリア語を学んだのであった。言わば同窓生である。 なんと奇遇なことか、わたしも驚いたが 彼も相当びっくりし、そして意気投合 ペルージアの思い出話に花が咲いたのだ。
後日イタ飯を食べに行くこととなり、そしてワインで乾杯となった。当然飯田まで帰れなくなり、結果 氏の家に泊めていただくこととなってしまいました。
朝方窓から見る景色は50年前の就学旅行を思い出さすものでした。「あ・・ あんな鳥居あったな・・、そうだ!潮干狩りしたけど オレはクラスで一番採れなかったな・・、
でも夕飯はクラスで一番おかわりしたなー」。
出会いはうれしい。