2009年7月26日日曜日

草刈



以前に稲の育ちが早いという話をしたが、雑草もまた然りである。この春からあまりそのあたりに気を使ってこなかったから 大変である。場所によってはもう私の背丈ほどにもなっているのだ。きっと近所迷惑だったんだろう。反省。 さて ビーバーを背負って夕方近くに出陣だ。この小型エンジンつきの草刈機というものはすごい。1メートル50センチほどの棒の先に 草刈歯のついた30センチ位の円盤が回転して草を刈り倒すのだ。ちょっとしたマジンガーである。現場についてエンジンをかける。むー なかなかかからない。中古のこのマジンガー 機嫌を取るのもオペレーターの立派な仕事なのだ。白い煙とともにやっとかかった!高い回転音が嫌でも草刈に集中させてくれる。以外にも重労働である。汗が体中からふきだす。日ごろやりなれてないためすぐにばてるが、まだまだ雑草地は広い。今度は自分の体のご機嫌をとりながら何とか続ける。白い小さな花(ヒメジオンとかいったか?)が微かな甘いにおいを漂わせ私は少し元気になる。続ける。嫌になる。・・結局刈りきることはできなかった。


来週 やるか・・・ドクダミの気付け薬のようなにおいをかぎながら私はマジンガーのエンジンを切る。

2009年7月19日日曜日

仕事部屋の掃除



平面領域展が終わり、足の踏み場もないままになっていた仕事場に何日かぶりに戻った。どこかの本にあった『旅行で自分の部屋を空けた後は部屋に叱られる』という文章を思い出す。


今回の展覧会には約180人ほどの方に来場いただいた。展覧会は忙しかったり気疲れしたりするが、やっぱりうれしい。初めて会う人に、自分の絵についていい印象を話してもらったりすると、なんとも極楽だ。また顔見知りからここが変わったねーとか言ってもらうことも悦に入る。もしかするとこの喜びだけが、展覧会の意味かも知れないと考えてしまう。また グループで発表すると自分の立ち位置が良くも悪くもわかる。少し落ち込んだりもする。会期中のこの気持ちの高揚は 最終日も過ぎ作品を搬出してしまうといよいよ寂しいものとなるのだ。




まずは仕事場に音楽でも流しながら、掃除を始めよう。




ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。心のどこかに何かを残せたかな・・・と願います。


2009年7月10日金曜日

?長幼の序???平面領域展始まる


無学を恥じるが この漢字に出くわしたのは初めてだ。二三日前に新聞で見つけた。霧が晴れたら目前に敵がいたようにあれから気分が高ぶっている。昔から 大人の間にある見えない身分制度のようなものでとても畏怖を感じていた。確かにチョウヨウノジョらしき音は聞いたことはあったがこの字を書いてあの序列をさしていたのか!(アドレナリンの分泌がどうも過剰気味かもしれぬ。)
仕事をやっていると、いわゆるできる人がいる また、劣る人もいる。それは紛れもない事実です。そこには確かに長幼の序らしきものはあるでしょうが、ひとつの尺度でものを見ていることをわれわれは知っている。だからその序列が万能だとはおもわない。トラの穴やギルドのような技術集団には確かに有用な制度かもしれないが、現代のような価値観の多様な社会では非常に部分的な秩序であることを知らなくてはならないと思う。私は美術団体などにある長幼の序に疑問を持つ。この多様な世界で多くの人々を包括できるようなひとつの価値は 理論は 美はあるんでしょうか?否、だから一人ひとりがアーティストとして試行錯誤をしていくんだと思う。

素晴らしい作品を発表する人はリスペクトすればいい。自分の中で好きな作家のベストテンがあってもいい。でもグループとして序列があるとすればとても疑問のある集団だと思う。

そんな思いで私は 昨日オープンした平面領域展に意義を持っている。グループ展としてジャンルを超えて刺激し合える空間があると私は自負しているのだ。(やっぱりアドレナリンが過剰か・・・)

2009年7月7日火曜日

アメーバの暮らし


5月に植えた稲がこの一ヶ月ほどで丈は5~60センチになり 株はもう稲刈りころの太さになっている。お手伝い程度の稲作に手を出しているせいか少しばかり目が田んぼに向く。驚くのはこの成長の早さである。この一ヶ月といえば、高温多湿で 人間の私は成長とはまったくかけ離れた不快で 感情の抑制が効かないなんとも情けない日々であった。 不思議だ!こんな日々が植物にとっては何にも代えがたい待ちわびた季節なんだから。そして私たちはその実を食べ生きる。

梅雨の季節を少し考えてみた。べとべとな気候は確かにあまり知的生活には適さないかもしれない。しかし なんか動物的、いやもっと下等なアメーバ的に生きるという感じに私たちのどこかの感性がシンクロしないだろうか??
単純にいきぬくというところかなー。
知的に、もしくは機能的に暮らせなくたって 情けないなんて感じなくてもいいんだ。きっと・・


話変わりますが、懐かしい人たちがこのブログ見て メッセージをくれました。とてもうれしいし、手紙と違った新しい感覚を受けました。ありがとう。