2010年9月26日日曜日

すどう美術館


CAF.N展の会合に浦和まで出かけた。そこで すどう美術館館長の須藤一郎氏の講演を聞いた。確かギャラり-るたんがあるビルの4階にあった美術館だ。画廊というには広い感じで3つほどに部屋が分かれていた。比較的若い人を中心に自由な展示をしていたという印象がある。3年前に小田原に移ったと聞いていた。そこの館長さんの話だから興味があった。

その方の話は 品のよい静かな口調で、すぐ引き込まれた。

中年過ぎまで 美術とは無縁のサラリーマンであったが ある時 菅創吉という作家の絵に感動し 収集をはじめた。その後町田の私宅でコレクションを一般に公開するようになり、小さな美術館としての第一歩となる。定年のあと銀座に出る決意をし、10年の実績をあげた。アートは心の糧であるをモットーに 今は小田原で活躍中。

ギャラリストは作家にとってなくてはならない人たちだと 私たちは常々思っている。

 ◎なぜ、作家はギャラリストを必要とするのか?
   1) 作品を発表したい。
   2) 作品を売りたい。

 ◎ギャラリストとは?
   3) 作品を売る。
   4) アート作品の展示。企画。
   5) 愛好者の開拓。

 『アート愛好者層とはどんな人たち?』
すどう美術館の館長さんの話を聞いていると アートに対する高邁な思いがいろいろな社会で生きている人たちに何か何かをアピールしていると感じる。そしてその人たちがそれぞれの思いで 美術館にいき、作品に接する。アートに出会う感動がそれぞれの人生に生まれうるわけだ。

この丁寧なお付き合いがアート愛好者をはぐくむのかなー。



   

2010年9月15日水曜日

高い目標と実生活


昨日の朝日新聞スポーツ欄にサッカーの本田のコメントが載っていた。興味深かったのでここに乗せる。------<略> 日本人のいいところって何だろうとよく考える。例えば気遣いがある。いろんなところに気づく。視野が広い。むしろ広すぎるのかもしれない。考えなくてもいいところまで考えているときもある。フォルランはいったいどんなメンタリティでサッカーしてるんだろう。 <略 >  日本人の僕らは、考え方を根本から変えなければいけないと思う。横並びが大好きで、出るくいを打つ文化を変えないと。W杯優勝やバロンドールを目指すのが当たり前になってはじめて、いつか実現できる時がくる。天才的な選手はきっと、高い目標に到達するための考え方やいき方を自然にできるのだろう。僕は天才ではない。だから必死に探るしかない。<略>-----


確かに海外に比べ日本は横並びが好きだ。超金持ちも少ないし とんでもない貧乏人も少ない。でもちょっとづつ変わっているのも事実だ。才能に対して多額のお金を払う文化になってきているし、本田のように自分を信じ突き進む若者も多くいるだろう。
そんな日本の流れは『負け』に耐える強さを持たなければいけない、とも思う。早々勝つ人ばかりではないんだから。なかなかきびしい。

私の職場にNさんというおばさんがいる。いつも少し怖い顔をしていて、 ちょっと近寄りがたい感じだ。私は実直でまじめな姿に好感をもっているが、難しいところもある。不器用で物覚えもそんなに得意ではない。そのため忙備帳を事細かにつけ一度したミスは繰り返さない。朝早く出てきて入念に仕事を準備する。問題があると大変な剣幕で聞いてくる。ノルマの数もいつかはクリアーするようになる。負けず嫌いなのだ。なんとなく他のひとたちに意地悪されているようだが どうってことないといった感じだ。そのせいか人と話もしない。なかなか高い意識を保っていると感心する。ある意味 横並びなんてまったく否定してるだろう。
そんなおばさんだからあまり話もできないが 昼休みに何度か言葉を交わしたことがある。
彼女は野球のイチロウのファンだという。ナルホド。
それに なぜか地方紙のお悔やみ欄ファンのようだ。・・・

写真は本田の好きだというフォルラン。目つきがすごい。

2010年9月11日土曜日

sokuzakaku



久々に散歩に出る。どこかでソクザカクを刺激しないとやる気は出ないと聞いたからだ。


この暑さでほとほとまいっていたが、ソクザカクの話には興味を引いた。どうも即座核と書くらしく脳の一部らしい。人のやる気は 車のエンジンのようにセルモーターを回して起動させてやらないと出てこないらしい。そのセルモーターにあたる部分が即座核という脳の部分でそれを回してあげて やっとやる気がでる海馬が動くらしい。すなわち まず動け!というわけだ。暑いといってグダグダしていては いっこうにやる気が出ないわけだ。ナルホド


さて、台風が過ぎた朝いつものコースをぽつりぽつりと歩き始めた。真っ直ぐな田んぼ道は正面に南アルプスが見えて 大きな屏風のようだ。いつもは伊那山脈と赤石山脈は一体にしか見えないが 今朝は雨上がりの雲が手前の伊那山脈のスカイラインを際立たせている。いっぽうそれより高い赤石の山並みは雲の中だ。あそこに中央構造線が通っているのか、とにわか地質学者ぶる。


道を曲がると 今度は墓地がある。去年ここを通るといつも新しい花がたむけられていた。しかし今見ると花は枯れていた。家族の悲しみも少しは和らいだということか。


そこから坂を上り果樹地帯になる。 犬を連れた散歩者や おなか周りをもてあますようなウォーカーにあう。少し照れる。


りんごもだいぶ色づいてきたなー。


秋にはいくつか自分が参加する展覧会がある。頑張るか と思う。


ついでに お知らせ。


赤津侃氏が企画の『私の愛するアーチスト展』Ⅲに参加させていただくことになった。


期日 2010 10月2日(土)~7日(木) 12:00~19:00


場所 ギャラリー風   東京都中央区銀座8-12-13豊川ビル4F


               03-6226-2797








2010年9月1日水曜日

防災の日


先日 天竜市に出かけた折に感じたのは この三遠南信地区はつくづくややこしい地形だということだ。

地質構造の本を見て改めて驚いた。恐竜で有名なジュラ紀の時代にユーラシアプレートとフィリピンプレートのずれで中央構造線というにができ(九州阿蘇あたりから四国北側を経て紀伊半島横断 渥美半島に来て最後は千葉の銚子あたりに抜けるライン)

その後北米プレートと太平洋プレートのせめぎあいで東北日本が中部で合わさり そしてそこにフィリピンプレート上の伊豆半島が突き刺さったらしい。(100万年前)

それにより真っ直ぐだった中央構造線は赤石山脈西から諏訪まで曲り そして八ヶ岳の北側を霞ヶ浦方面に抜けるという。

南信から静岡愛知に貫けるゾーンが山深く谷が険しいのは そんな地球規模の力が加わったからなのだ。そして先日通った国道152(秋葉街道)はまさに中央構造線上にあったのだ。上村のV字渓谷はその地球の歴史をよく伝えているに違いない。

それにしても日本はよくこんなプレートの境の危ないところにあって沈まないものだ、とつくづく感じてしまう。40年前の“日本沈没”(小松左京)を思い出した。沈まないまでも平和であってほしい。