2011年2月24日木曜日

隻手の音

このところ、新聞等に取材を受けたが、上手く答えられなくてすっきりしなかった。それは、なぜ、土を使って描くのか? そして そもそもなぜ壁の絵なのか?

今もしっかりとした答えがあるわけでもないが、一昨日たまたまテレビで白隠の番組を見て気が付いた。『隻手の音を聞け』という言葉が出てきたのだ。
両手があって はじめて手をたたくことができる。片手では手はたたくことはできない。では、手をたたく気持ちが起きないのか?   否。
わたしは二十歳過ぎころから 油絵の具が 描け過ぎる と言う感じで厭になった気がした。絵の具の能力が自分の気持ちよりいつも上で 自分がどう描きたいのかわからなくなってしまう、という感じがしたのだ。
・・・もっと濁っていて、中間色で、質感のある感じ・・・
私にとって 最初の隻手の音は 土を絵の具に混ぜることだったように思える。
そして今も その聞こえるかどうかわからない響に耳を澄ますのだ。

2011年2月20日日曜日

二束のわらじ


よく 絵をやってます、と自己紹介すると『いいご趣味ですね。』と言っていただける。なんとも もやもやする褒め言葉なのだと言いたい。絵の道で食べていくと言うことはかなり難しいことで、私の知っているなかでも1~2人しかいない。第一 比較的若くから画廊さんなんかに認められる必要もある。そして自分の絵を勝手にどんどん変えていくことも そうそう許されていないようで大変だ。だからしかたなく何らかの職に就かざるをえない。二束のわらじと言うやつだ。
しかたないと言いつつ、テンションが低いままで続けられるほど、職業は甘くない。なんど職場でもめたことか..

性格面から言えばアートめざす人間は一言で言えば素直じゃない! それに我が強いうえに怠惰。救われないなー

ところが、これが救われるんだという理屈がある。いつごろか好きになった作家がいた。白隠だ。そのとぼけた坊さん作のお経に次のようなものがあった。

衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし 衆生近きを知らずして 遠くを求むるはかなさよ たとえば水の中にいて 渇を叫ぶが如きなり <後略>

 


2011年2月11日金曜日

この時期 夢を見る...

村上隆の本を読んでいる。なんかむかーしの感情が蘇ってきた。それは、かれが作品を仕上げる段でぐいぐいとその画面に、にじり寄っていくという姿勢のあたりでだ。絵に肉薄していく気迫のようなものが、作品に『圧力』を与え 見る人を説得する、というのだ。それをたぶん自分のスタッフに求めているのだろう。
私が思い出したのは、芸大浪人ころ、予備校の先生によく言われたせりふに似ていたからだ。だからちょっとヤナ夢を見た。ぼくは、必死に抵抗していた。『その学んだ技術が、何に繋がるんですか?』と....
あのころ、いろいろなアートが溢れれだしていた。二十歳前の私たちには怖いようで でも魅力に満ちていた。しかし受験生には見えるとおりに描くデッサンしか許されなかった。
そのデッサン道で『気迫』を強いるのだ。その延長上にアートはなさそうだと思ったわたしはついていけなかった。
村上氏はオタクアートをその先に据えてまい進している。そのテクニカルなところの気迫が高価な価格に反映しているのだろう。
わたしはといえば 未だに絵は売れない。でも間違った道にいるわけではないと自分につぶやく。

2011年2月5日土曜日

新聞に載る

アジアカップのサッカーに興じて一月がすぎたが、ブルガリアの受賞の件が  新聞に載って急にあたりが一変してしまった。ぼーっと無責任に日本代表のサッカーをテレビに向かって評論している場合ではなくなってしまったのだ。友人から 親戚から おめでとうコールを頂く。懐かしい中学の同級生からメールも届くし、職場では普段話したこともないおばさんにも声をかけてもらえる。こんな経験初めてだ。なんか浮ついてしまう。
サッカー日本代表の李タダナリ選手がコメントしていた。『ヒーローになってうれしいが、これでサッカーが上手くなったわけではないので これからも頑張りたい』.....若いのにしっかりしているものだ。
見習って モードを切り替えなくては。くれぐれも間違えてはいけない!わたしがアジアカップを取ったのではないのだから。