2011年5月21日土曜日

アート

昔 mmpoloさんのブログで知った若手芸術家集団Chim-pomが渋谷の岡本太郎の大壁画に福島原発事故の絵をそっと付け加えたそうだ。やったなー!と思った。
ストリートアートは70年後半のバスキア辺りから若者の特権かもしれない。言いたいことを言い切って逃げる。なんとも痛快だが中高年のわれわれには無理だ。すぐお縄になってしまうだろう。
(このところ原発関連の話ばかりで恐縮だが、)
その岡本太郎の絵はたしか反原爆をテーマにしていたが そこに誰にも気づかないうちに福島原発の事故を描き加えたもののようだ。実際に見たら嬉しかっただろうな。不謹慎なところが尚いっそうアートだ。岡本ブームをも 少しおちょくっている。
原発は戦後国策と言うことで進められた。たしか資源のない日本には夢のエネルギィーだからと大いに推進されたようだ。私たちは 子供のころ 十万馬力のアトムも妹のウランちゃんも名前からしてそうだが 原子の力(原爆とは切り離された)を信じきっていた。経済成長を大きく担う中心になるべく進んできたのだ。
ちょうどバスキアがニューヨークの街に落書きアートをやっていたころから、原発の危険性がクローズアップされ始めた。プレートが複雑に沈み込んでいる日本は原発事故が起こる可能性がある、いや高い。・・・
スリーマイル、チェルノブイリとやはり事故は起こった。
しかし日本は 経済の発展をとめるわけにはいかない、技術国日本では起こりえない。
たしかに十数年前から 事故を起こさない技術があるゆえに原子力で発展していくべきだ、との論調が主流だった。そこには国策推進のためメディア操作のようなこともあったようだ。
どこか、戦前の日本が、満州から 中国へと突き進んでいった構図に似ていないだろうか。
あの悲劇に対し回避する舵が切れなかった日本・・・・・
若手芸術家の活躍の場はまだまだたくさんありそうだ。それにわれわれアートの端くれもアートたのるもを発表していかなくてはならない。

2011年5月15日日曜日

自然に暮す







テレビ番組に『ダッシュ村』と言うのがあるが うちの家族はこれが好きで毎週日曜の夕食時の定番であった。有機的な農法で米や野菜を作ったり、焼き物を焼いたり、草木染めをしたりと奥が深く 信頼できる良心性があった。







自分たちが収穫した作物を主人公のtokio自ら料理して そしておいしそうに食べる。ほんとにものの尊さを伝えてくれて それに楽しそう。







ところが事もあろうに 例の福島原発の事故で(その村の場所は公にしていなかったが・・)避難区域となり今までのような、農の営みをみつめる番組を作れなくなっている。とても象徴的なことだ。







五月晴れが続いて 野外で過ごすととても気持ちがよい。筍や蕨なんか摘んで 味わう。田植えをする。自然の中で暮らせる幸せを 感じる。







しかし、原子力の事故はそれを奪うのだから 罪はおもい。この社会の歪みはいったい何処から来てしまったんだろうか。・・・





人の英知はそれを乗り越えられるのだろうか。・・・

2011年5月8日日曜日

浜岡



浜岡原発に停止要請が出た。何かと批判の多かった菅首相だが、この点についてわたしはうれしかった。福島のあの惨事から考えれば当然のようにも思うのだが、電力に関わる政治、行政、メディア、財界、そして学者 すべてが地下水脈のようなもので繋がっていて生活者のレベルの声は排除されてしまうかと悲観的に考えていた。





日本の文化は調和感覚は優れているが、なにか大きなものに反旗を翻すことはとても難しい雰囲気がある。そう、雰囲気が支配する文化なのである。 世の中に疑問を持たずそれなりに暮らすにはいいのかもしれないが、いよいよシステムが劣化してきている今、『寄らば大樹』では もうだめなんだ。けど、だれも組織の中で『それは違う』といえない。



少しさかのぼる話だが、太平洋戦争に突入してしまったのもなんか似ている構図に思える。






原発事故は 土を汚染し、ふるさとを壊してしまう。そんな恐ろしいリスクにいままで未来を賭けていたと思うとぞっとしてしまう。十四五年前テレビの深夜討論番組では 推進派が優勢だった。 あれはなんだったんだろうか・・・



2011年5月3日火曜日

南無の展覧会



なかなか4人とも忙しく 揃ってお話も出来ない今回のグループ展だ。私のようにすぐみんなと飲みたくなる性格だとやや寂しい感がある。ショッキングなのは陶芸の土屋さんが病気のため入院されていることだ。初日にチラッと顔を見せたが 病院を抜け出してきたのかなー。あいにくの雨の中 大勢の方々が来て頂いてうれしい初日だったが 土屋さんとは話す時間はなかった。





宮島氏は展示の日に会えたのだが 東京に帰ってしまった。バイトに追われていて辛いようだった。お酒好きの彼との話はたのしみだったけど残念。





今村氏は今回も 次の展覧会、次の展覧会と多忙を極めているようす。会場で彼の近況を聞けるのは奥さんの話からだけだ。





ともあれ この時期は 遠くから来てくれるひとが意外に多く “また楽しからずや”である。昨日は突然茨城の陶芸家樽沢氏が訪れてくれた。彼は高校の美術班仲間だった。





私がこのブログを始めたころ 彼はここ飯田で個展をやったのだがたぶん会うのはそれ以来だ。





あの地震については すごく揺れたが被害はなかったとのこと ほんとによかった。





元気な友の顔は 新緑の季節によく合うものだ。いい季節の展覧会だと思った。