2011年10月30日日曜日

地元の作家2人

飯田美術博物館で飯田作家の室内画展が行われている。正宗得三郎と山本弘の数点がメインの小規模な企画展だ。しかし絵と言うものは不思議とマスメディアではうまく伝わらないところがあるから地方の独自な展覧会は その地には大いに意味がある。(名画はたぶん違うだろうが、)まわりのストーリーが意味を補足し、魅力を増す絵は実際多いと思う。
その点この二人は多くの逸話を残しているので、絵を見る興味がわいてくる。
正宗得三郎は私の実家の伊豆木地区に戦時中疎開していた作家で、作品が多く残されているようだ。地元の公民館の入り口にこともなげに飾られていたが、(お宝意識がめばえたのか)今はどこかに仕舞われてしまった。彼は二科展の重鎮であったが 戦争が終わった時 伊豆木にゆっくりと構えていて失敗した。目聡い若手の東郷青児が、全員に連絡がつかなかったと言う理由でベテラン作家を除き二科展を勝手に再開してしまったのだ。結果、正宗は二紀展を創らざるをえなかった。
マチィス風の静物画が展示されてあったが、富岡鉄斎が好きだったという彼はいったい何をめざしていたんだろう。なんとなく画家って感じ・・・・が否めないのはわたしだけ?。
山本弘、この地では有名なデカタンの画家だ。今回mmPolo氏をモデルにした作品があると聞いていたので、どうしても見に行きたかった。山本の絵はこの展覧室の中ではやはり一際 感情表現があって入りやすい。ただ激しいので拒否感が出る人もいるかもしれない。見たかった絵はmmPolo氏との関係が濃かったのを物語るいい絵だった。
地元にまつわる展覧会をまた開いていただきたいとおもう。

2011年10月22日土曜日

道草主義

お金をめぐるデモが世界各地で起きている。ニューヨークでは若者が富の偏在に疑問を投げかけているし、ギリシャではスローな暮らし(南欧の文化か?)が金の裏打ちなしではできない事に怒っている。世界はいつの間にか単一の価値で覆われていっている。嫌な事だ。
昨日 飯田のラジオからたまたま流れてきた話題で ドライブにまつわる男女の意見がおもしろかった。忙しい私たちはとかく効率優先だ。ドライブに出かければトラブルなく早く目的地に着きたいものだ。道草で 到達できないなんて考えられない。でも、そこでの女の人の意見は新鮮だった。途中で景色が素晴らしかったら、戻ってみていこう。素敵な店があったら寄っていこう。結果、目的地につけなくてもぜんぜんOK! と・・・。
そこまで、腹くくって生きられないにせよ、“要領よく行こう”で頭の中がパニックになって苦しんでいるんだから たまには真逆で行って見よう。爽快だよ。きっと。

2011年10月15日土曜日

コンプレッサー

勤めている会社の健康診断が数日前あった。この歳になると悪いところばかりなのでとても憂鬱な日だ。とりわけショックだったのは2キロの体重増だ。・・若い女性じゃないんだからそんな感想ないだろう、と思われるかもしれないが、事実そう感じた。(肝臓値や血糖やもろもろの問題を背負っていたとしても・・)
夏まで個展やグループ展が続いたから少しゆっくりしようと思ったとたん全く意欲が減退してしまった、と言う話は前々回書いたがそれが数値になって表れた訳だ。
忙しさから開放されたら心が喜ぶかと思ったら以外に空虚な日々だった様に思える。夕方ワインのビンに手がでるし 食べる量も増えた。 散歩もあまりしなくなってしまった。どうも動物園でボサーッと寝ているサルのように目がとろーんとしてきていたに違いない。
意欲とは 心の中のコンプレッサーがイロイロ集めて圧力を高めていくのに似ている。そして高まった圧が体を動かす。体を動かすのはカロリー計算できるエネルギィーだけとは限らないのだ。
そこで 『イロイロ集めて圧を高めるコンプレッサー』を考えたい。このごろの私の場合 2キロ増⇒動物園の毛の抜けかけた太ったサルの黄色いトローンとした目のイメージ⇒自分の虚しさ⇒何とかしなきゃー⇒散歩しよう!。と言った具合か・・・
昔 親戚の子が登校拒否になったことがあった。自分の部屋から出るのも辛いようであった。彼の意欲はどう回復して言ったのだろうか・・・クラスの子とのもめごと⇒友人たちから孤立⇒孤独感⇒受験の失敗⇒絶望感 ホントに辛そうな日々であったようだ。2年近くの時を経て彼は美容師の学校へ自分の意思で行った。【何とかしなきゃー】が育ったのだ。そして今は美容師として意欲に溢れた暮らしをしている。

2011年10月8日土曜日

鯖の寿司

10月になると浜で鯖の値段が上がった、と言う・・・(?)。
海から遠く離れたこの南信州の山村で 鯖の寿司を家々で作って神様にお供えするお祭りがこの時期行われる。私の実家のある伊豆木地区の風習だ。
たしかにこの地区に住む男たちはしめ鯖が好きだ。お酒の席には必ずと言っていいほどしめ鯖の皿(スビテと呼んでいる親しまれている)が出てくるのだ。私の母も毎年鯖寿司をつくっては近隣に住む叔父たちに配る。私にも届く。 旨い旨いといただくのだ。
この風習は この地の領主小笠原氏によってもたらされたものだそうだ。この地の史家久保田氏によると2代将軍秀忠のころ小笠原長巨が京辺りから伝えたものだと言う。岡崎やら豊橋辺りから10月の祭りにあわせて伊豆木の住民は一斉に鯖を求めるのであった。あながち浜の値がつり上がったというのはうそではないかも知れない。
このうまさはDNAに染み込んでいるに違いない。なにせ400年代々食べ継がれているのだから。

2011年10月2日日曜日

ひさびさ

今年は夏から秋にランディングするのは難しかった。無気力者になった。昨年の暮れからハイペースで来過ぎたのか、9月になって急にガス欠状態になってしまったようだ。やっとやっと稲刈りをし一ヶ月が終わってしまった。もともとが怠け者なんだから勤勉者に生まれ変わったと勘違いしてはいけなかったのだ。ブルガリアから頂いた賞で少し勘違いがあったかもしれない。絵を描くと言うことは野山を歩くことに似ている。いままで裸足で歩いていたのに、靴をプレゼントされたら、歩きよくて嬉しくなった。その歩く喜びを噛み締めていればいいのに、知らず知らずにもっといい靴を、もっと楽な乗り物を、と求めていた。そしてペースを乱し ガス欠に陥ってしまったのだ。反省。
歩く喜びに戻ろう。金木犀を嗅ぎながらゆっくり歩こう・・・・。