2011年12月31日土曜日

Sofia の画廊にて

三日目の朝 私たちは今回の目的地ブルガリアに向かう。昨年の今頃はブルガリアがいったい何処にあるかさえ知らなかったのに、今は旅の常連のような顔をしてソフィア行きの飛行機に乗り込むのだ。さすがに日本人は私たちだけのようす、クリスマスに家族を訪ねるのか機内はぎっしり満席だ。東に飛び立った機は2時間足らずでソフィア空港に、着陸すると客席から拍手がおこった。思わず私たちは微笑んだ。知らない国に入る前に少し緊張が和らいだことを感じた。
白髪でも若々しい感じの紳士、レッセドラ画廊のギオルギさんが 私たちを迎えてくれた。いよいよ一年勉強した英語が活躍するかと思いきや、挨拶から先が何も出てこない、にやにやするしかないのだ、まったく!・・。

次の日はいよいよ『寿司パーティー』だ。15日から始まった第二回Lessedrea 国際ペインティングコンペ展の審査員のためブルガリアに来た私を第一回受賞者として祝う会を企画してくれたのだ。とは言え寿司はわれわれで作らなければいけない。親子3人昼から大忙しだ。ご飯を炊いて、きゅうりを切って・・・20人分ぐらいのつもりで始めていると ギオルギさんが100人ほど来そうだと言う。蒼ざめたが、冗談ではないようだ。ギオルギさんの奥さんも巻き寿司作りをよく知っていて手際よく働き始めた。女房と娘が丁寧に藤の花のように細巻きを盛り付けている間に 奥さんはぺっとりしたご飯をのりにくっつけて 卵きゅうり巻きを2~3皿作ってしまった。驚くべき臨戦態勢。
6時を過ぎると画廊は人が入り始めあっという間に身動きが出来ぬほどに・・何を話したか、何を話せたのか 名刺交換したり 自分の絵を説明したり 海苔の説明をしたり なにやらエキサイティングなひと時であった。気がつけば6皿あった大皿の寿司は空になっていた。
人の退けた画廊で ギオルギさんと眼を見合わせたら 充実感を漂わせた表情で 握手をしてくれた。  みなさん ありがとう。
*ポスターは Hayashi Masahiko Sushiパーティーと書いてあるらしい。

2011年12月29日木曜日

友を 遠方より訪ねる

アリタリア航空の機内に乗り込むとやっと出発の実感が沸いてきた。この一年いろいろな人に支えられてこの旅に家族3人が出られるのだ。なんと言っても 務め人にとって10日連続の有給休暇を取るのはやさしい事ではない。一年かけて上司が調整してくれたり、周りのひとが仕事を引き受けてくれた。そして行ってらっしゃいと言ってくれた。妻も同じだったようだ。娘の場合は担任が骨をおってくれたが、事前勉強はしっかりやらされたらしく 『もう勉強はしない』と断言しての旅立ちだ。
9900km 13時間は長い、機内でおいしいワインを飲んだくれて過ごそうと思っていたが 酔いがさめてもまだ半分も行っていなかった。・・・
アカデミア時代の旧友ヴィートがローマ空港まで来てくれていて懐かしい再会を果たした。予想に反して太っていた。15年ぶりだ。着ている服が赤かったらほとんどサンタクロースと言っていい風貌になっていた。でかい手で重いトランクを車まで運び、彼は私たちをフォリーニョの家につれて行った。
彼とは歳が同じで 当時あまりイタリア語の話せない外国人学生の私をよくいろいろな催しに連れ出してくれたものだった。いっしょに二人展もやったし、わたしの抽象画への扉を開いてくれたのも、彼だったと思う。
夜の10時をまわっていたが、家では妻のルチーアがクリスマス料理のトルテリーニインブロードを作って待っててくれた。彼女もあのころからの友人だ。 イタリアンママになっていた。子供が3人、下の子は双子で14歳、うちの子より1つ上だ。彼らはそのうちパソコンの翻訳サイトでコミニュケーションを取り始めた。なんか微笑ましく嬉しかった。いろんな話をした。私たちはいままであまり手紙を書かなかった。だから、話すことはいっぱいあった。わたしの錆びかかったイタリア語も滑らかになった。なんて感動的な夜だったことか!
気がつけば 時計はもう2時だった。

*彼の部屋に掛けてあった当時のイラスト;左がVito、中央が私、奥の穴の中にLucia、’80にMoreno(私の右隣)が描いたものだ。

2011年12月27日火曜日

Bulgariaに旅立つ

今年の総まとめの様なつもりでブルガリア、イタリアに旅行することになった。しかも家族3人で・・・。海外旅行などホントに久々で、パスポート取得さえどうしたらいいのかわからなかった。夏が過ぎるころから夫婦揃って心配事だらけの日々だったが、ナントかカントかローマ行きの飛行機に乗り込んだ。!
予定はイタリアでアカデミア時代の旧友を訪ね その後ブルガリアのソフィアにむかう。Lessedra 画廊のゲオルギさんが迎えてくれる手はずだが 未だ会った事もない人のだ。私のpoor English が果たしてどの程度通じるのか・・・
それに私の心配事はローマだ。むかーしむかーしまだイタリア初体験のころ、ジプシーのこどもの群れに囲まれ その汚い小さな手がポケットに掛けられたとき、 びっくりして追い払う声も出なかった。私の密かな心の傷だ。
ともあれ、賽は投げられた。行ってまいります。12月吉日

2011年12月3日土曜日

ブルガリア版画の展示と販売

昨日から 喬木の雲揚堂店主の湯沢氏が始めたギャラリー吾亦紅(WAREMOKO)で展示会がスタートした。このギャラリーは長い間飯田の中心街の一角にありながらシャッターがしまったままであった店舗を氏が借り受けてオープンしたものだ。名前は吾亦紅・・・どこかで聞いた気もするが まずはめでたい。
さて そのオープン企画的なものがこのブルガリア現代版画展だ。版画家の北野敏美氏が国際展で交流していたブルガリアの作家たちの作品が主なもののようだ。小品ながらなかなかおもしろいものが多い。ぜひとも多くの人に見てもらいたいと思うし、買っても頂きたいものだ。(ただ 細かいので老眼鏡は必要です、蛇足ながら・・)
私も昨年世話になったレッセドラギャラリーの関係で売り子の応援に行くことにした。自分の絵はなかなか売り込めないが 人のは出来そうな気がする::::?
今夕と明日昼吾亦紅に詰めますので 近くにお寄りの際にはひやかしに来て下さい。
ギャラリー吾亦紅     飯田市銀座スクランブル交差点            <湯沢雲揚堂>