2012年1月21日土曜日

原点

30年前にフォリーニョの町で二人展をおこなった。イタリア人の旧友ヴィートとの展覧会で私にとっては原点のようなものだった。イタリアに行く前の私は美大浪人を繰り返していたが、 時はカウンターカルチャー真っ盛りの70年代後半、アカデミックなデッサン重視の入試は私には全く魅力のないものになっていた。その後紆余曲折ののちイタリアに渡った。 今までの展望のない具象絵画の勉強からからどうやって脱却したらいいのか考えていたころ アカデミアの友人ヴィートが2人展をやろうと誘ってくれた。私はなんとなく抽象表現主義的な絵数枚を用意して翌日の飾りつけのためヴィート宅を訪れた。
当日の朝ヴィートは庭の草を刈り取りキャンバスの裏に詰め始めた。なんだ!?・・・
それが作品だった。会場でその緑は新鮮だった、一日たつと表面のビニールが結露して緑のグラデーションになった。彼はこの中部イタリアの自然を愛しその調和の中での人生のようなことをテーマにしていた。それを刈り取った草で表現しようとしたのだ。
幼稚な発想だと言うのは簡単だ。しかし 何の主張もない美しい絵よりよっぽどアートだ、と感じた。『何が言いたいのか』と言う問いに答えていない絵はアートではない。なんとなく表現的に仕上げた私の作品こそ幼稚に思えた。そう感じさせてもらった二人展だった。
写真はその時のもので 今は亡きYasuji君が写っている。
ヴィートの家を30年後に訪ね 今アートに失望していると言っていたが自然豊かな郊外にたくさんの鶏や猫や犬のいる大きな家を持ち いい家族に恵まれて暮らしているのを見ると昔のテーマが一貫しているなと感じずにはいられなかった。

2012年1月13日金曜日

思い出を噛み返す

牛が噛み返しをするように ふと気がつくと暮れの旅行を思い出してしまう。考えてみればなかなか得難い時間だったし尊い人との触れ合いだった。だから、その旅の断片を思い出すに任せて 書いてみようと思い直した。
Vitoの家から車で15分くらいのFolingoの街は懐かしくて改めて好きになった。中部イタリアの町では珍しく丘の上になく平らな町並みで温和な感じがする。Vito宅に泊めてもらった次の朝 Luciaとともに訪れた。寒い朝だったが 町の中心の市庁舎前の広場は比較的おしゃれした人々が集まっていてそれぞれにおしゃべりしたり ちょっと歩いたりと心豊かな風景だった。クリスマス前の日曜ということもあってかとてもいい雰囲気に感じた。今思えばもう50メートルほど通りを歩いて30年前にVitoといっしょのやった二人展の会場を見るべきだったと思う。たしかあそこだなと遠くで見ただけだった。
Luciaの実家にも立ち寄って見せていただいた。今は年老いたお母さんと長女Margheritaが住んでいるという。お母さんは教会のミサに行って留守だった。Margheritaにとっては駅が近くペルージア大学に通うのに便利なようだ。だんだん親から離れていくんだな・・
昔 イタリアの社会になかなか入っていけないなと感じていたが いまこうしてここにいるととても近くに感じる。
通りに出ると『チャオ ルチア!いいクリスマスを』と近所の人が声を掛けていた。

2012年1月4日水曜日

諏訪の石仏

昨年から続くイベントの最後は父の米寿を祝う家族旅行であった。明日から仕事始めの妻は ため息ともつかない大きな息をして 『ああー、やっと一区切りついた』と言った。ヨーロッパ旅行の準備、そして旅行、つぎは家族旅行とほんとに大仕事続きであった。ご苦労様であったと思う。楽しいことが続いた後は 生活に日常を取り戻せねばならない。娘は なぜか気に入っている言葉 【万時 塞翁が馬】を繰り返しつぶやいている。気を引き締めていないとよくないことでも来るのか・・・
さて その家族旅行は諏訪であった。朝30分ほど 寒風の中歩いて 石仏を見に行った。不思議な魅力の石仏だ。いわれを聞くと偶然のながれ(この巨石を鳥居に使おうと石工がノミを入れると石が血を流した。それで鳥居に使うのをやめ石仏にしたという。)の中でできたというが、その美意識は太古のおおらかな人間(神とともにいる)を感じる。そしてそれは偶然じゃない、今の価値観とは異なる時代の美の表出と思う。岡本太郎が再発見したいわれがそこにあると思う。