2012年8月19日日曜日

高校時代からの友人のお母さんが過日亡くなられた。あいにくお葬式には出られなかったので 友人Tとともにお線香をあげに彼の家を訪ねた。道すがら高三のころの話になった。文化祭の盛り上がりの勢いで美術班の数人が5キロほどの道を歩いて彼の家におしかけたのだった。もう暗くなっていたから9時ころではなかったろうか。彼の家の二階に上がりこみ大騒ぎをしたのだ。しかも、一升瓶を友に 女の子もいたと言う。  私はなぜかこの記憶はつい最近まで鮮明ではなかった。たぶん酒に酔ってしまって寝ていたのかもしれない。しかしTはここ十年くらいこの話を時折するので少しずつ思い出して苦笑してしまう。翌日二日酔いの頭を抱えながら彼の家の後方にある大きな谷を眺めていた自分がたしか将来に対する過信と不安のただ中にいたなと思い出した。
彼の家は そういえばあのころのままの大きな二階家で 改めて若気の至りを恐縮した。大きな家はガランとしていて仏壇だけがお母さんの葬式を雰囲気を伝えていた。ここ五年ほどは彼が農業をしながら介護をしていたようでそれからの開放と空虚感がいまの友の姿のようだった。座敷の隣にはもう一つ机がありそこには受験の参考書が積まれてあった。『息子が大学受験なんだ』と言っていた。そうか、あんな馬鹿をやっていたころに息子たちはもうなっているんだ。それにしても今の息子たちがあんなにでたらめでなくて良かったな、と思わず言ってしまった。

2012年8月12日日曜日

アグリッパ

ローマ皇帝アウグストスの副官アグリッパはわれわれにはデッサン用の石膏像として有名であった。中学の美術室にはたいがい備え付けられていたのではないだろうか。紀元前50年ころから300年間(パックスロマーナ)の平和の時代人々は現実主義を生きていたという。たしかにアグリッパの像は写実以外のなんの興味もなさそうで、意志の強そうな軍人の顔つきの表現が爽快だ。また2000年を経たわれわれがその表現を理解できるのも 変な気がする。
そしてその同時代に イスラエルではユダヤ教の中からキリスト教が生まれひたひたとローマに浸透していった。そのころの心を表現した何かに出会いたいと思ったが不勉強なせいかまだない。とここまで書いて 新約聖書がそれそのものではないかという気がした。パオロの手紙とか読んでみよう・・・ちと難しいかな 私には。
アグリッパをわれわれがデッサンした若いころ 目的は物の現実的把握 客観的なものの見方のためであった。その訓練が毎日毎日のデッサンであった。では、その対極にある精神性 または宗教性は何によって高められるのだろうか、前のページでも書いたが ビザンチンを経てロマネスクに至ったキリスト教の壁画にはとても不思議な平和(精神性の高み)がある。パックスロマーナから数百年の所謂暗黒の時代がなにをどうしたのか?