2013年4月23日火曜日

イタリア美術と戦国時代

フレスコ画の静謐性が好きだった。ピエロデッラフランチェスカとか・・レオナルドやミケランジェロ以前の美術がだんだん好きになっていった。
それは私のイタリア時代の興味のひとつだった。 このごろ『一個人』という雑誌を買ったらそのあたりの美術史詳細が(当時一生懸命イタリア語の辞書を引きながら勉強したんだが、)上手くまとめてあってびっくり。西洋美術の粋の部分といえる時代だ。
シエナからフィレンツェに華やかさが移っていくころイタリアルネッサンスは最盛期となっていった。有名なメジチ家が芸術家たちを庇護した時代である。しかし政治史をほとんど知らなかった私はチェザレー ボルチアの話を今度読んで 嗚呼あの時代は戦国時代だったんだなーと改めて思った。まさに信長や秀吉の時代に利休や等伯 狩野派が天才を発揮したのと同じだったんだ。傍らで策謀が渦巻き 人ゝを殺しあっていた時代だったんだ。(そこにはちょうど100年の時差があったが どうしてそんなに似ているんだろう。)
1400年終わりから1500年にかけてたった10余年の間 彼チェザレーボルチアは法王アレッサンドロⅥの息子として教皇領をフィレンツェやベネツィア ミラノ そしてフランス スペインと戦いながらエミリア地方まで拡大して行ったが やがて父の死と共に没落して行った。レオナルドダヴィンチも一時彼の部下で土木関係に力を振るったそうだ。
 ベネチィア派からスペイン王家へ絵の主流が移っていくとだんだん絵がパワーを失っていった。そして世界は大航海時代を経 日本にもヨーロッパ文化が伝わった。信長の時代だった。


2013年4月22日月曜日

南無三人展’13

木こり生活、稲作農業者(初歩)、と遽しく過ぎて 今度は平面作家として発表の時が迫った。勤め人から解放されてあっという間に40日が流れていった。余裕のはずの三人展がじつはやばい状況にある。今度のギャラリー南無の展覧会は日本画の宮島氏が抜けて三人展と言うことになり 来週の28日は搬入なのだ。去年は漆にはまり 形にならぬまま発表 そして不本意な展示となってしまった。その漆をもう少し自分の形にして赤土と組み合わせたかったが、今度は赤土の段階で先に進めず またまた中途半端な感じだ。まあ、あせらずにいこう。あせらずに!
このところ ソウ思うことにした。
勤め人のころの毎日着実にすこしずつ生産する、という感覚は 今思うとすごい。きっちり8時間分の生産はするんだから!  だが作家の生産(?)というか創作は無駄がやたらと多い。この40日間を考えるとある程度今の結果につながった創作時間は数時間かもしれない。いや、これさえ 後になって否定される失敗作=無駄時間かもしれない。
そんなわけで 時間 効率 真面目 勤勉 を今私は自分の頭から遠ざけている最中なのだ。
しかし 周りは 私の日々を この怠け者と避難の目で見る。春の田園風景は ある意味辛い。

2013年4月16日火曜日

発芽確認

第一胃はミノ、第二胃はハチノス、第三胃がセンマイ、これらは牛の反芻のための胃だと言う。ちなみに第四胃(アギラ?)の役目が消化らしい。トリッパというイタリア料理をぜひ作ってみたいとしばらく前から飯田の肉屋さんを見て回っている。ハチノスを使っていることは知っていたのでそれを探すが 白いハチノスがナカナカ売っていない。黒いのなら時々手に入ると言ってくれた店もあった。『え!白いのや 黒いのがあるの?』・・・しかたなく焼肉用のミノで代用しようかと買って家に戻るが、妻に気持ち悪いから止めてくれといわれやむなく頓挫。
 ちょっと寒い日が続いていたので稲の苗の具合を覗いて見た。籾播きから10日健気に芽を出していた。私がハチノスで頭がいっぱいのころ 苗は必死に寒さに耐え(実際 苗床の田に薄氷がはった朝があったと 母が言っていた。)水のみで芽を出したのだ。

2013年4月9日火曜日

苗床

桜の満開は一週間ほど前だったかな、今年は。
さて我が家の土手にある花桃がほころんできたので 稲の籾まきを始めねばならない。と言ってみたが素人の私はほとんど一から年老いた父から教えを受けなくてはならない。60になろうとしている私でも小僧っ子扱いだ。
外の日差しは思ったより強く 背中にあびると何となく元気になる。明るさが欝的な思考を吹っ飛ばしてくれて救いだ。(今月末の南無の展覧会の準備不足があってもだ!。)
苗床は田んぼにたっぷり水をつけ 籾をまいた専用箱をそこに並べるのだ。頑固な老人に怒られながらやっと昨日土を盛って土台が出来た。イヤハヤ農業は奥が深いやら ややこしいやら。でも ちょっと泥絵の世界?
明日朝100個の箱を並べ シートで保温すればそれでよい。その後は微妙な温度管理で発芽させ15センチほどの苗に育てる。放っておいてもだめのようで水の量や気温を一月間神経質に管理しなくてはいけない。
ややこしや。春の気持ちよさがなければとてもできない、と弱気になったりの日々である。
 

2013年4月2日火曜日

4月1日

このところとても一日が早い。会社勤めのころは午前中が終わるためには11時の重い山を越えなければならなかった。そして3時の休み前は長い午後の勤務、4時半まで来るとどうにか 今日を終われそうな気がして安心したものだった。
それが、前にも書いたが夏休みの小学生のようにあっという間に日々が過ぎていく。彼らのように絵日記を描くというブレーキさえないので 毎日が尚いっそう転がるように過ぎていってしまう。
まあ こんな日を夢見ていたんだから 喜ぶべきはずが ちょっと変な感じだ。昨日の夜のニュースは 新年度が始まり 新社会人のための入社式の様子が映し出されていた。
エープリルフールのニュースだと言ってほしかった。