2013年9月23日月曜日

高松宮殿下記念世界文化賞

秋分の日の昼にゆっくりしながらテレビを見ていたら 懐かしいアート作品が急に映し出された。唐突に昔に引き戻された感覚だった。首記の文化章に イタリアで授業を1~2回ほど受けたことのあるミケランジェロ ピストレットが受賞したというニュースだった。
なんと懐かしい。ペルージアは田舎の美術大学(学院)で私が通っていたころはちょうど学校の変革期、1年のころはデッサンをマッタリやっているようなつまらないカリキュラムだった。2年になると校長がローマの人に代わり 革新的な先生が多く入ってきた。学生たちも熱が入った。特におもしろかったのは美術史の先生で 毎月当時の最先端(ちょっと後かな?)のARTE POVERAの作家たちを連れてきて講義をやってくれたのだ。そのなかに彼もいて ある日町の噴水を学生たちと手を繋いで囲んだパフォーマンスをやった。「なんだかなー」と当時私は思ったんだが後で写真を見るととてもかっこよかった。
熱くていやに照れくさい時代だ。でもとても大切にしたい時代だ。だからARTE POVERAのことを思い出させてもらって ブルガリアのギオルギさんにはとっても感謝している。そのいきさつは昨年銀座るたんの個展でパンフレットにギオルギさんが投稿(昨年10月20日ソフィアからのメッセージ;このホームページ)してくれた。そして自分のやっていることはちゃんとした基礎の上でやっていることなんだと改めて思うことにした。

 

2013年9月21日土曜日

パソコン劣等生は思う

久々の投稿になりました。以前にも書いたパソコン教室にこのところ没頭して・・ 否 頭が占領されていて他のことが出来なかったというのが本当のところかもしれません。正直授業についていくのがいっぱいいっぱいなのです。15人の生徒の中で私の世代は2人だけ そして男も2人、完全なアウェイ状態といえます。指も頭もスピードのステージが違いすぎてどうしても超緊張を強いられているのです。夜は倒れる様に爆睡です。
止むを得ず絵を離れて2月ほど こんなことは20年来なかった。だから自分の絵について なんとなくちょっとはなれた思いを書き留めてみたくなった。
①土の質感はやっぱり好きだけどそこから離れられないのか。
②画面が漠然としていて言いたいことが直接的でない。もっと端的にならないのか。
さて、パソコンを毎日やっていて思う・・・この膨大な そして日々の 些細なデータを一つ一つ入力して それを解析する。そして何らかの法則で既定の手をうつ。昔のように数少ない天才が個人的にやっていたことを今や誰でもパソコンによってやり得る。社会の質的な規模は無個性ではあるが大いに高まっていくのはよくわかる。
この膨大な仕事量を現代の私たちは抱えて生きていると思う。好き嫌いに関わらず。便利な電気はあるが同時に放射性廃棄物もある。高速道路はあるが国の借金もある。今平和な暮らしがあるが近いうち80%の確立で南海大地震があることも知っている。地球温暖化は・・・
中世から天才たちが近代を切り開き、その後テクノロジーが現代を展開させている。でも私たちの暮らしは、嬉しく楽しんでいられるんだろうか?心安らかなものなんだろうか?
テクノロジーの発展はクールな生き方も必要だが、幼い子供の不機嫌な顔に何か共感するところがあるのもわかる気がする。奈良の絵を思い浮かべてみた。