2013年11月30日土曜日

北陸雑記

北陸に事情があって働きに来ているが、日本海は荒く そして吹く風は冷たい。
とはいうものの実は美味い魚を食ったり 美術館を見に行ったりと ちゃっかり楽しんでいる。
珍しいところがあるから仕事帰りに寄っていこうと言うので友人について行った。発電所美術館というものだった。英語でart power station なんとも すごい。
富山県入善町にある 元水力発電所を利用した美術館でとても魅力のある空間だった。穏やかな田園地帯にひっそりと立つこの美術館はバブルのころのようにアートに夢の花が咲いた華やかさは今はもうないが どこかおおらかで好きになった。
 原発事故の後 エネルギー問題を提起したレベルの高い展覧会なんかやってみるのもおもしろいかも。 
しかし、人はあまり訪れないだろうな、いい美術館はみんなそうなんだ。なんとか維持していってほしいものだ。
『こんなところにこんな素晴らしい○○があるなんて!』的に、たまたま訪れたのも感動の原因かもしれない。それに引き換え 後日訪れた金沢の21世紀美術館はとてもおしゃれで素敵であったがなんとなく底の浅い感じを受けて少し残念であった。私の地元の小笠原屋敷資料館も確か同じ建築家だったな ・・・
さてさて、帰りに友人の車に乗せてもらったら 足元にじゃまな大きな石が置いてあった。降り際に聞くとその石はヒスイ鑑定でよい返事をもらえなかった例の石であった。


2013年11月16日土曜日

ヒスイ

ひょんなことから糸魚川の近くに仕事に行くこととなった。が、今全く関係ないことに気をとられてしまっている。実は海岸でヒスイを探しているのだ。唐突に だ。その海岸にはヒスイが落ちているのだという。ご存知だろうか、ヒスイとは・・・地球の地殻変動による力によって出来る神秘の宝石。よく緑色に磨かれたマガダマをイメージできると思う。日本ではここだけで見つけることができるというのだ。海岸を歩く人はみんな石を探している、なんておもしろい景色だろう。
何となく馬鹿にした気持ちで海辺に近づいた私はいつの間にか一攫千金を夢見ていた。当然のように石拾い始め、三十分もたてばポケットは小石でいっぱいになってしまっていた。
実はどんなものを拾えばいいのかさえもさっぱりわかっていなかったが 珍しい模様の石がいっぱいなのでついポケットに入れてしまうのだ。
ところが ところが30キロもあろうかという石を友人が発見したのだ!大変だ。どうしたらいいんだろう!?『これは青ヒスイの原石に違いない』みんな興奮している。・・・
欲の力かその巨石を皆で担いで 高いがけを登り 車まで運んだのだ。ある人はずーっとその石をなでていた。写真も撮っていた。
さて、どこかの鑑定所に持っていくと友人たちは言っていた。来週がたのしみだ。

2013年11月10日日曜日

本日個展最終日

ミュー自然美術館の個展が今日で終了。今回で6回の開催でしたが紅葉の美しさは一番印象的だったと感じた。

さすがに昨日あたりは寒くてストーブの近くに居っきりでしたが 枯れ葉がはらはら落ちていくさまを見ていると美しすぎて照れる程でした。春草の落葉なんか思い出している自分にたいして我ながら呆れてしまいました。(私は日本の近代美術が嫌いなのですが・・・)
ここの美術館を訪れる客は決して多くはないのですが とても豊かな空間あると思っています。つい展覧会の当事者は入館者は何名で 絵が売れたとかそんな話をしがちなんだけど(もちろん絵描きとしてはそれは切実な問題ですが)その次元とは一線を隔した何かに触れさせられます。「豊かな空間」と言ってみるのですが上手く伝わるか・・・
大体この美術館自体儲かっているとは決して思わない。よくやっていると思う。一般の経済の常識では語れない館の姿勢、≪豊かな自然のなかで自分をふと感じたりできる時間を持つこと≫を貫いている。だからこの美術館から小一時間かけて帰る毎回の道のりは孤独そのものだ。もう6回の開催になるのでやっと解ってきたのだけれど一般社会の道理に帰るまで軽い鬱に悩まされるのはしかたのないことなのかもしれない。家に帰って晩酌でもあおろう!  って、・・・
それにしても絵描きは絵が売れないと悲しい。



2013年11月1日金曜日

L'ETA ROSSA

11月14日木曜日から一週間3人展を開催することにした。とっても忙しい決定で大丈夫かとも思ったがメンバーがメンバーだけについ二つ返事で決めてしまった。実は高校時代の美術班の仲間のHくんが勢いよく「○○日からTくんと3人でグループ展をやるから参加しろ!」と電話があった。私はとても興味が沸いたのはHの作品を高校時代から見たことがなかったからだ。彼の話すことは昔から的を得ていて文なり絵なりのまとまったものをいつかは見たいと思って久しかったからだ。
やっとそのときがきた、と思い 「やろう」ということになった。
われわれは60歳になっていた。・・・というほどに大げさでもないが軽く還暦を絡めて3人展の形にしてみた。『L'ETA ROSSA』のネーミングは赤い年のイタリア語訳。さてどんな発表になるやら・・
唐突だが、
われわれの高校時代からのことをザーッと振り返ってみたのが右の表だ。原子力の変遷(エネルギー政策)と密接な関係のある世代だったのがよくわかる。それにしてもいろいろなことがあった。で、これからの我々はどう道を歩いていけばいいのだろう。皆で酒を飲みながら話をするのもいいかな。