2014年12月29日月曜日

50人展を終えて

12月に入って いきなり冬がやってきた格好で雪が舞いだした。
今年の50人展は何ができて何が課題だったのだろう。(それを考えていたら1か月が過ぎてしまった)
今回の展覧会は一つの区切りだったかもしれない。というのは、この地域の作家たちの統一展覧会は全体として いったい何を誰に向かって行う展覧会なのか?が浮き彫りになったような気がする。若い作家たちによる第一ステージは「俺たちは頑張っているんだ!俺たちの作品を見ろ!」といった空気感があったが、第二ステージのベテラン作家たちの展示は総花的で サンプル品を味見する見本市にも思えた。確かに それぞれの作家がそれぞれの方向を 一堂に会している意義は深いし、ひとつひとつの作品を作家の話を聞きながら見つめてみたい気にしてくれた。
しかしその領域がどんどん広がり深まり そう簡単に すべてを理解することは難しくなってきている。それぞれの作品が互いに相容れない空気感を持つようになってきているのも感じなくもない。
考えてみれば当然かもしれない。アートはその人の生き方の表現だから、世代や生活環境が違えば大事にしている信条も変わってくる。政治のように価値観も変わる。こちらが善くても あちらには非も出て来よう。アートは相克といえる。簡単に言えば 好きも嫌いもそれぞれはっきり出てくるのだ。
50人展も3回が終わり 漠然とした全体感が進化して行けばきっと相克の時が来るだろう。実はもう抽象系と具象系は交じり合わないし、イラスト風3次元の具象系も同居は難しい。作品以上に作家は同居できない...。
戦いを好まない飯田人の気風を考えるともしかして緊張感のない総花風のままかもしれない。しかしそれではマンネリというものだ。
取りあえず、来年の50人展は行わない空気が実行委員会にはあることは伝えておきたい。年明けに反省会を予定しています。

2014年11月29日土曜日

50人展第2ステージ始まる

私てきにはなんとも、あわただしく次のステージが開催となった。従来の形式での展示となったが50人を超える作家の総花的展示はどうしても息苦しく思える。
さて内容については 所謂社会的に評価されている作家たちは十分みごたえのある作品を出してきている。さすがというべきか。
抽象系の作家たちは自らの方向に磨きをかけている感じだ。
伝統工芸作家の作風も堅実な姿勢を感じる。
今回私は2つの問題を考えている。1つは40代以降の若い作家のマンガ的に画面構成された絵をどう展示したらいいのか?従来のデッサンによる空間とは異なるので一緒にはできないのではないか。
第2に表現の習作的作品群について?を感じる。 どうしても重苦しい。なにを言いたいのかを見る側に問いかけているようで、少し古い感じである。

ワークショップを開催

キング堂の個展会場でワークショップを開催しました。中村ブラウン(赤土)をこねて自分のタブローを作ろうというもので 集まってくれた人々は期待に反しておじさん達が圧倒的に多かったですね。短時間に捏ねた赤土を絵にしていく感覚はさすがにみなさん慣れたもので(参加者のほとんどが絵のフィールドのかたでした。)1時間程度で終わり際を見極めてしまいました。
慣れない方は方向性が定まらないのでいろいろチャレンジしている間に時間がたってしまいますが・・でもそうやって悩んでトライしていくのがこのワークショップの大事にしたいところです。
次はもう少し時間をとってそれぞれの作品を鑑賞しあいたいなとも思いました。
余談ですが 私は参加者のために100円ショップでエプロンを揃えたのですが 見事にみなさんにマッチしていました。なんか嬉しかったな。

2014年11月22日土曜日

飯伊50人展第1ステージ始まる

第3回目を迎える飯伊50人展が昨日から長野県飯田創造館にて開催となった。今回は以前までの総花的展示にこだわらず新い展示をこころみた。まず会期を1週間づつ2つに分け、前半は若い作家たちが中心になった企画展で名付けて「Reflection新旧の対峙」というステージです。出品者は60代1人、50代1人、40代2人、20~30代が5人という構成です。(因みに60代の一人は私・・。)また、ブルガリアの若手作家の小品も若者つながりで参考展示を試みました。
後半は27日からの第2ステージで以前の形を継承した飯伊で活躍している作家たち50人の展示です。
今の日本はいろいろな分野で転換期が起ころうとしています。美術の分野でも既存の美術団体が若い世代に受け継ぐことができなくなって立ち往生の観がうかがえます。わが飯伊地区でも閉塞感がいろいろな美術展に感じられてなりません。そんな状況に一つの提案になればいいと企画したわけですが多くの人に来てもらい語らってもらいたいな。と思ってます。開催中の前半ははたして世代間ギャップはどうなんでしょうか?

2014年11月20日木曜日

キング堂個展その2

南信州新聞と中日新聞に記事を載せていただいた。新聞の力には常々感謝している。来訪者がグーンと増すからだ。いい出会いがまたあるといいなー。

2014年11月16日日曜日

キング堂個展

キング堂ギャラリーにて個展開催となりました。
今回はことし制作した16点を展示しました。大きく2系列の内容となります。一つ目は小品たちで「室内に飾る」をテーマにしています。なるべく重くならないように制作したものです。そのため深みとかに不満があり、秋以降は大作に挑みました。それが今回の第二群です。「金属と土」をテーマに5点展示しました。11月24日月曜祝日までの10日間です。多くの皆様ご来場をおまちしております。

2014年11月3日月曜日

素材としての土の色

飯田市の創造館で今展示されているオブジェは先日友人の手塚氏が指導した赤土を使って描くワークショップの作品群だ。なかなかの存在感を放っていて、嬉しくなってしまう。
失礼だが隣のブロックに展示されているアカデミックな絵たちに比べとても魅力的である。たぶん素材の土の力が大きいと私は考えている。
(絵の具と土について考えたとき、)所謂絵の具というものは色をだすために極限まで抽象化されている。だから当然平板に使ったその色には何も性格は生まれない。描こうとする作者の意思に従い画面にその役割を忠実に与えられていく。ある時は澄んだ秋空として、またある時は燃える炎の赤として。たとえて言うなら舞台の名優だ。
しかしここで登場している素材としての土は全く絵の具とは正反対の代物で、土でしかない。秋空も表現できなければ、火の激しさも表現できない。表現とはほど遠い舞台でいえば大根役者だ。
しかし今という時代は表現物で溢れている時代だ。テレビをみればコンピューターグラフィックスのコマーシャルで本当の出来事なのか偽なのか区別がつかない。・・・もう名優だらけなのだ。そうなると私たちは、どう思うんだろうか。・・・気持ちよく騙されているうちはいいが、悪意のある嘘に騙されるようになるともう魅力も何もない。演技力はもういいよ!。本当のとこ どうなの?となる。
土には演技力はない 大根役者だ。でも存在そのものが土としての真実なのだ。私は 素材としての土を使うとき こんなことを考えてしまう。”存在そのものが真実。私たちそのものの存在感が今、能力とかいう概念(20世紀的)で脅かされている。しかし希薄なんかでは全くなくて存在している事そのものが偉大な真実なんだと。”
そんな安心感のなかで自分の手の素朴な動き、とか 画面の出来事から感じ取る素朴な ナントカ見たい!と言った感覚を発展させたりして喜ぶのが、表現というものの原点と私は考えるのです。
そんなシンプルな構造がその作品たちの魅力なのだ。



2014年10月24日金曜日

表現の現在展Ⅶ

美術評論家の赤津侃氏による企画展が明日から一週間 東京銀座のギャラリー風にて開催される。今回 私は会場に出かけられず本当に残念。一緒に展示される作家の方たちにはご迷惑をかけます。
今回の出品作品は地下をイメージしてやってみた。・・・多くの人にご高覧賜ることを願ってます。
ギャラリー風;郵便番号104-0061中央区銀座8-12-13豊川ビル4F

2014年10月20日月曜日

CAF.N仙台展

仙台に来たのは40年ぶりだと話していて気が付いた。18日はCAF.N仙台展のオープニングセレモニーが開催され久々に参加者たちと歓談した。一昨年以来埼玉近代美術館は耐震工事のため会場を仙台に移しての開催となっていたのだ。なかなか飯田からは遠く参加をためらっていたが、そんなふうにチジコマッテしまってはいけないと奮起して参加を決めた。
いざ行ってみると東京からは2時間であっという間、気が付けば飯田から東京が不便ということであった。
仙台の地には19才の浪人生の秋 美大受験勉強に嫌気がさして予備校後期の授業料を払い込まずその金でやみくもに旅行に来たのだった。それ以来だと思いだしたのだ。(確か後で父にシコタマ怒られた。)
今回の参加者の中の小谷節也さんはとてもユニークな経歴の方で話に吸い込まれるように聞いた。彼は1955年に19才でアメリカにわたり そしてニューヨークで美術教師として長年働いていたそうだ。白髪で白ひげで声がとても前に出る感じ、(よく日系アメリカ人のしゃべる声の感じかな。)とても誠実で 日本人どうしのような内容をなるべく間接的にしゃべろうとするところがないのでこちらも安心してオープンな気持ちで話せるし 聞ける、気持ちがよかった。戦後まもないころ東京でまるで浮浪者のような暮らしをしたこと、おばさんの住むアメリカに渡って教育を受けたこと、美術教師として生徒に慕われたこと 結婚のことなど 2次会の帰り 長い定禅寺通りを歩きながらきいた。「アートは道化なのだ。」という話を(中世のアレキーノ=道化は流れものたちでその地の支配者に帰属せず自由に批判し生きていた。)たぶん英語だったっらスムーズなのに日本語で話してくれた。 心にしみた。
今朝は足が筋肉痛、歩きすぎかな。

2014年9月29日月曜日

11月ワークショップを開催!皆様ご参加を

友人であり日本画家のT氏の勧めで 只今ワークショップを計画中です。内容は 赤土を使って抽象画を描いてもらおうと言うものです。そして第一歩としてT氏自ら 中学校の美術の先生たち対象にその教室を実践して 様子を見てもらいました。結果は楽しくて受けもなかなかとのこと・・
そんなわけで 私もいよいよ実践に向かうこととなりました。
写真はそのためのDMです。
11月23日(日)午後1時30分より 飯田市銀座のキング堂ギャラリーにて
ワークショップタイトル≪赤土を使って 現代美術にチャレンジ≫
副題…土をこねて 作ろう不思議絵!
参加希望の方は ぜひぜひキング堂にまたは私にお申込みしてください。(すみません、参加費3500円です)
まだまだ少し先ですが、ぜひともお友達を誘って参加を計画してくださいませ。お願いいたします。

2014年9月23日火曜日

チェロ奏者

ミュー自然美術館の今月の展示は名古屋の加藤幸雄氏だ。彼はとても人脈が豊かで とりわけ音楽関係の方々が友人なのでオープニングパティーは楽しい。先日はなんと平谷村のバンガローを借り切って行われた。私にもお招きがあったのでワインを一本抱えていそいそ出かけた。
豪華なディナーの後は彼の友人たちの音楽セッションで とても豊かな時を過ごすことができた。私は自分の絵と他の抽象表現の何かと合わせてイヴェントのようなことをやってみたいなとかねてから思っていたので とてもいいヒントになった。
自分の絵を前で茶道の茶をするとか・・・そして 今回思ったのがチェロ演奏。バッハの深い音はきっと中村ブラウンとうまく共鳴するに違いない!と。
いつかそんなチャンスができるといいな。

2014年9月6日土曜日

横浜トリエンナーレ

知り合いの展覧会を見に東京に出た。そして午後は久々に横浜でトリエンナーレを見物しようとみなとみらいに向かった。相変わらず駅周辺は空間的で美しく文字通り未来的。俗世のゴチャゴチャ感がなく気持ちいい。さて、会場に入ってみると なんとごみの山というエントランス。まあまあ!
この手の展覧会はほんとにいろいろな作家のいろいろな考え方に出くわす。戸惑いながら笑ってしまう。きっとこの感覚が面白いのかもしれない。作品に対して端から理解しようなんて考えてはいけない。自分流にとらえるだけだ。しかし、途方もなさ過ぎて漠然と見るだけになってしまう。散漫な感じは勿体ない。今回はキュレーターのボイスナビを借りてみた。なるほど説明があると鑑賞も一歩踏み込んで感じることができた。ただ、なんだ、そんなことかとがっかりしてしまうこともたまにある。それもたのしい。
映像作品はこのところ私の興味を引き付けている。今回はエリックボードレールというひとの映画。足立正生(映画監督)がベイルートの街のシーンにかぶせて山崎努ばりの低い声で語っている『あの熱い時代に・・・云々』 一瞬の緊張感が私の中で起こった。
そうだ、40年も前は 過去の価値観を覆すべくインスタレーションやハプニングという表現方法が採られた。それはお祭りではなく、むしろ戦いだったのだ。だからそれを見るときとても怖かった。無知 無自覚をその場で批判されるんじゃないかとびくびくしていて とても楽しむ感じになれなかったことを思い出した。パレスチナの不条理は今も変わりない、いやむしろ混迷は深まるばかり。自分の狭い世界だけで物事を判断してはいけない。と気づかされた。

2014年9月1日月曜日

草刈り雑感

今年は雑草がよく伸びる。何回草刈りをすればいいんだろう・・全く。うんざり感満載で 雨間を見ながら草刈りに出かけるこの頃だ。蒸し暑くて半分熱中症になりながらやった8月前半の草刈りに比べれば ずいぶん楽になった。ちょっとした日陰や水路の近くにはドクダミが密生していて刈っていくと気付け薬のようにいい匂いを発してくれる。ドクダミだなんてかわいそうな名前だ。もっと爽やかなネーミングなかったんだろうか。
妙な話だが 散歩していて田んぼの土手に雑草が高々と茂っていると(注:決して刈りたいとは思わないが。)なんか鬱陶しさを抱いてしまう。因果なり。
ニュースでエボラウイルスの話を聞くが昔見たアウトブレイクという映画を思い出す。あんな風に終結してくれればいいと思っているが だんだん患者が増えていくのは、恐怖そのものだ。それで連想するのもちょっといかがとは思うが、日本でもマダニに寄生する危険なウイルスが確認されたという。野で働く人間には嫌なニュースだ。また、南アルプスに連なる天竜川の東側は近頃 鹿が相当繁殖しているということだ。私も以前ブログに書いたが≪兵越し峠車脱輪事件≫の折 暗闇の中で光る眼をずいぶん目撃した。その鹿の繁殖によって、今度は吸血のヒルが里にも出るようになったそうだ。山に軽装で入ると危険とのことだ。いやはや豊かな自然というと穏やかで平和なイメージだが、人の手が入らないと すぐに過酷な自然が迫ってくる。戦いなのだ。
ああ~あ、そう思うと今日も長袖シャツを着て草刈りに行くか!

2014年8月18日月曜日

飯田病院の展示

東京の個展には酷暑にもかかわらずご来場いただきありがとうございました。率直なご意見や、励ましのお言葉を多くの皆様に頂くと 東京での展覧会の魅力はむやみには退けられないな、とも感じた今回でした。そんな感慨に浸って気が付けばもうお盆もおわり・・。
さて、9月からは小品展ですが 地元飯田の栗山会飯田病院の院内通路に展示をさせて頂くことになりました。 一か月ほどの展示となると思いますので、機会がありましたらご覧いただきたいとおもいます。なるべく多くの皆様に作品に接していただき、風景や花や美人画だけが絵ではないよ、と主張(?)してみたいですね。

2014年7月29日火曜日

林正彦展開催中

東京銀座6丁目のギャルリー志門にて 個展をついにオープンいたしました。
愛車セレナに作品を積み込み朝も暗いうちから ほとんど行商のように出かけた昨日でしたが 昼頃には何とか飾り付けが終わりました。
そして夕方のオープニングにはとても多くの方々に来ていただき盛大に盛り上がることができました。なんとワイン14本も空いたそうです。今日画廊オーナーから聞いてびっくり。
改めて、企画者の評論家赤津氏に感謝したいと思います。
ご出席の新耀展、 CAFの方々、南信州の村澤さん、富山の時のアーチストの方々 そのた多くの皆さん 本当にありがとうございました。最後に志門のオーナーありがとうございました。今やっている絵の方向性に自信を強く感じました。
ギャルリー志門;銀座6-13-7新保ビル3F
7月28日月から8月2日土までです。 ぜひお出かけいただきご高覧たまわりたいしだいです。

2014年7月26日土曜日

心の花美術館

この頃は地方にいい美術館があって その突然の出会いがなんともうれしい。先日松本に出かけた折時間が空いたので上田まで出かけてみた。久しぶりに夢の庭画廊を訪ねてみたかったのだ。
ひとしきりオーナーの小澤楽邦氏と話したのち勧められて市内の心の花美術館に行った。
上田駅の近くのこじんまりした建物の中に入って驚いた。ジャスパージョーンズ マンレイ ステラ カレルアペル 池田満寿夫 オノサト 荒川修作 などなど・・・。まるで戦後美術の教科書のような作品たちに出会えたのだ。作品の大きさは大きいものでも35x40cm ほどのものだがそのクオリティがただものではない!こんなふうにコレクションできるのはよほど趣味がよくてお金持ちの人に違いないと想像してみたが お会いしてみると至極庶民的な中年女性だった。(ピンヒールに黒のスーツの痩せたマダムを想像していたのは事実だ。ところが事務所からで出てきた方は 同時に在宅ヘルパーもしているというエプロン姿のおばちゃんだった。そしてイメージに誤解が生じないため付け加えておくが 美人さんであった。)
この女性が若いころから 少しづつお金をためてコレクションしてきたのだそうだ。こんな素晴らしい美術館はそうはないと思う。彼女のセンスの良さ 生き方がこの暖かで爽やかな美術館を作っているのだと感じた。行政がローカルマスターのために作る箱物美術館とは全く違う。今の美術を知ることができる尊い美術館だ。多くの人が行けばいいのにな。
夕立前の息苦しい午後だったのにとてもクールな時間をすごせた。

2014年7月20日日曜日

タピエス ブッリ そして・・

私の好きな作家は この二人だ。イタリアのペールージア近くの町出身のブッリはイタリア時代ぜひ訪ねて 会いたいと願ったほどの画家だったが、その時代にはもう完全な有名人で絶対に人には会わない作家となっていた。タピエスはやはり同じころパリを旅行した時にポンピドウセンターで展覧会をやっていて大作をいっぱい見た。感動のひと時であった。私の人生の中でもきっと最大級の出会いであったと思う。
それから やはり好きなのはドイツのキーファー、日本の宮崎進。だが、この二人を知ったのは実はこの頃なのだ。キーファーの名前も記憶してなかったが10年くらい前軽井沢のセゾン美術館で見ていて、去年ギャラリー風蘭の個展の来場者に『キーファー お好きですか?』と聞かれた。『誰ですか』と問うとスマホで画像を検索してくれた。そうか、10年も前軽井沢でいい作品だと思っていたのはこの作家だったのか。機会があればもっと見てみたいと思っていたら先日新聞に展覧会の紹介があった。北海道の美術館、遠い!
宮崎進さん、 この方の名前は東京で個展をするたびに『宮崎進に似ている』と言われ ちょっと複雑な思いだった。二番煎じ的に言われてしまうのだが実は全くその作家を知らなかった。あまり調べたくもなかったが、きっと今度の個展でも言われそうだからネット検索をしてみた。
これも驚きました。なんといい作家ではないですか。しかも先月まで葉山(神奈川)にて大個展をやっていた!ドンゴロスを使って迫力のある作品をいっぱい作っている。好きになってしまった。ただ、自分との違いは内容だ。彼のテーマはシベリア。平和な時代の私の作品とは全く別物だと思う。
ただ共通するものは 具象性からくる嘘を否定して 素材の持つうわべではない素の存在感を借りて もっと人間の深いところの何かを表そうとしているところではないだろうか。それは決して二番煎じではなく 平和な時代だからこそ私は煮詰めたいのだ。

2014年7月10日木曜日

合成写真考

今度の個展に出品予定の作品を見ながら考えながら 茶室のイメージをひろげてみた。 

うーん、一般の茶道の道の方にはいささか違和感があるかな。
心にうったえかける空間って 日常にはあまりない気がする。日常生活の中で自分と向き合ったり 落ち着いて一息ついたりは とても大事だとは思うが 気が付くとそんな時間はなかなか取れないし、もうあたかも無駄な時間のように 日常から消えようとしている。
若いころは音楽を聴いたり ぼーっと景色を眺めたりしたのになー。
かつて 中村壁を研究しているとき 左官の勝野さんが茶室について教えてくれた。利休は客人をもてなすために近くにあった竹を編んで 畑の土で簡単に壁を作って茶をたてたと。
途端に70年イタリアの現代美術のムーブメント”アルテ・ポーベラ”に通じる感覚を持った私は 茶道に興味がでた。
とは言っても その後 着飾った女性たちが集うお茶会には一度として出たことはない。言うまでもない。
自分が土を使って描く絵と その精神空間に何か シンクロするものはないだろうか。
予定調和の世界とは異なるこの空間は 人の心に何を起こすのだろうか。ザラついた心が 和の世界に浮き上がる。・・・・
日常に ふと足を止める 瞬間を作り出すことはできるだろうか。そんな場を探している。

2014年7月6日日曜日

ついに4強

サッカー好きなので、展覧会前のこの時期に到って 実に落ち着かない。日本代表が腰砕け的に退いたこともあって 案外クールにテレビを見られるが。ブラジルは地元の強さを出しているし、ドイツは地味に勝って実力を見せている。オランダはどいつこいつも強い選手ばかりだし、アルゼンチンのメッシは決める時はしっかりきめてくる。日本代表の実力なのか 精神力なのかずいぶん差がある感じだ。
さて、このところのヨーロッパの選手たちは移民の2世3世選手がかなり増えた感じだ。イギリス、フランスはかなり前からいたが、ベルギー、イタリア、スイスにはアフリカ、東欧、中東勢が増えた。そして強くなった。
確か私がいたころのヨーロッパ(30年も前)は経済が行き詰っていて失業した若者たちは麻薬に走って悲しい状況があった。そして近隣の中東、北アフリカ、東欧から 入国者(たぶん不法)が絶えなかった。その後ヨーロッパはユーロとして経済的に大きく姿を変え 移民を受け入れることになった。
あの頃 知り合いのイタリア人の女性はモロッコ人と一緒になり ベルギーに行って家族を作った。今はどう暮らしているか全く知らないが、その子供たちが きっとベルギーサッカーの選手層を厚くしているんだろう。そしてきっと経済も、社会も活気が出たに違いない。
閉塞感に満ちたこの日本も 近隣国からの移民を受け入れてダイナミックな社会を築く覚悟をもたないと詰まらぬ民族主義に囚われてしまう。
あの頃 ペルージアの仲間だった松山修平氏はそのままヨーロッパにとどまり そして結婚し、 今やアーチストとして活躍している。この30年 ある意味移民者として苦労が多かったろうと想像する。そうやってひとりひとりの血の出るような苦労の上に国が活力を取り戻していくのかと思うと感慨深い。
ヨーロッパのサッカーは果たして勝ち残れるだろうか。

2014年7月4日金曜日

銀座(東京)で個展をします



評論家の赤津侃氏の企画「第7回『時代の目』シリーズvol.4林正彦展」を
東京銀座のギャルリー志門で
今月末7・28日月曜日から8月2日土曜日まで
開催することになりました。
ギャルリー志門は6丁目で3年前に個展をやったルタンと同じビルの4階です。
暑い時期 夏休み と人出が少ない時期なので心配ですが、ぜひとも皆さんに見ていただきたいと開催を決めました。私にとりましてはちょっとした決意です。
と、言いますのはお金のかかる銀座での個展は もうぼつぼつこれを最後にして ほかの発表の方法を考えていきたいと考え出したから・・・・
先日若い日本画家から「林さんの今のスタイルはどこから来たのですか?」と聞かれた。私はとうとうと二十歳頃の想い=芸大受験のころアカデミック美術の閉塞状況の苦悩と60年代アメリカのアートに解放された喜びのこと、を語った。でも最後のほうは若い画家はあまり聞いてない感じであった。少し悲しかった。同じ画家でも見ているところが違うのかと。
でも、数年ほど前に 全く偶然私の個展を田舎の美術館で見たブルガリア・レッセドラ画廊のギオルギ氏は一度もあったこともないのに私の絵の中にその頃の解放を求めての意思を感じてくれた。私はそんな形での出会いを模索している。多くの絵の愛好者 作家たちが交錯する銀座で
どうしてそんな尊い出会いがあまり成就しないのだろうか?それともわたしがその事実を拾い上げれてないのだろうか?
いずれにしろ銀座での発表は経済的に大きな負担で 貧乏作家には荷が重い。赤津評論家には感謝 感謝。

2014年6月27日金曜日

中村壁その後

もう8年も前になるのかと感慨深かった。自分が考えている絵は土の素材感がどうしても必要だと考えていた。それが人間にとってリアリティのある絵と思っているからだ。イタリアの学校から帰ってしばらくして 地元を散歩中にこの赤土を見つけた。松の茂った森の中で露出している土が雨上がりのせいもあってとても赤かった。
「この土でやってみよう」と思って以来30年ほど私の絵の素材となっている。
何度か地元での個展で「中村壁の色ですね」と言われたが中村壁とは何なのかわからず時が過ぎていった。いまから思えば もうその時に元左官の勝野氏や現役の山田さんとは個展で知り合いになっていたから不思議だ。
そして8年前 南信州新聞社の村澤氏が≪中村壁とは何か≫研究しようと提案してくれのだ。それから数か月間 休みの度に勝野氏、村澤氏 そして私とで中村壁はどこにあるのかと下伊那じゅうを探し回ったのだ。その間のことは村澤氏著の「中村壁」に詳しい。
さて、今日の南信州新聞に村澤氏が中村壁のその後について久々に書いていた。それが上の記事。
そうか、着々とあの土のファンが増えてきているのか!
幻だった中村壁の復活が果たされようとしているとしたら そんなにうれしいことはない。

2014年6月22日日曜日

バルディス展を見る

バルディスは近いようで不思議な作家だと思う。日本人が当時憧れていた20世紀初頭にパリで生まれ(しかも芸術家の家族に)ほとんどすべての芸術の潮流を身近に感じて育ったのに、それらの主張には無関心のようだった。ポーズした少女の具象画がずーっと変化しない。確かにその演劇的ポーズはややメタフィジカ(形而上的絵画)的ではあるが運動には参加していない。
美術史が傍らでまさしく音を立てて展開しているのに彼は淡々としている。熱く芸術を語るのではなく冷めた感じて暮らしている。確かにヨーロッパは激動の時代だった。
そして50年代になると何か落ち着いた大人の感慨を表現し始めた。たとえばジャコメッティのように。そこに繋がる流れがバルディスにの作品群にはあり、深いところで現代美術を消化しているようだ。だから、ペラペラな作品がなく無理がない。

2014年5月21日水曜日

五月雑記

南無の3人展の後 あわただしく五月が過ぎていく。毎年のことではあるけどなかなか忙しい。
1)個展をもう一度。: 創造館のロビーが空いている週があるから展示してみたらと声をかけて頂いたので小作品数点をかざったみた。「なかなかいいじゃない!」と言ってくれる人にであえるのはほんとにうれしい。
「こういう絵をなんというんですか?」とも聞かれた。油絵教室の生徒さんらしかったが、50歳代の方か?・・・もっといろいろな作品をみていろいろ感じてほしいものだ。唯々目の前の先生の言うことをきくだけじゃなくて。
2)お田植え。: この時期 爽やかな風に誘われて外に出ればどこの田んぼもお田植え風景だ。とても和やかな気持ちになる。そしていつも思い出すのはアンブロジオ ロレンゼッティの「よき政治」というフレスコ画・・ シエナの街では娘たちが歌に合わせて優雅に踊り 遠くの畑ではで農民たちがせっせと働く。 娘こそここにはいないが 人々が働く幸せはここにもある。
昨年 近くの農家の主人がこの時期 病気で倒れ 急きょその家の田も私が植えた。幸い回復したが体力が心もとないのか 今年もお願いしたいとのことであった。私のような百姓仕事の素人に!
忙しくもあったが 実は私はうれしかった。何故なら絵なんか描いてる道楽もんの私でも実社会で頼ってもらえるのだから。
3)バラが咲く。: 昨年気まぐれで植えたバラが大きく育ち とうとう花をつけた。確か70㎝位の苗をインターネットで2株買って植えたのだが、それがもううっそうとなるほど弦を伸ばしつぼみをいっぱいつけたのだ。いやいやなんとも親にでもなったような気持ちと言おうか・・・
もう少しすれば花に囲まれた暮らしだ、ヨ。

2014年4月26日土曜日

ゴールデンウィークは南無で

日本画の大きな展覧会を上野で3月に見たが(院展100年とかいうタイトルだったか)違和感を感じないではいられなかった。明治の価値観から全然現代にだどりつけないでいる。そしてそれで良しとしている。それが残念ながら日本の美術の実態なのだ。
今朝の朝日新聞に野見山暁治氏の記事が載っていた。デパートで初めて展覧会を開くそうだ。画伯はもう90歳過ぎで人気のある有名画家であると思っていたが デパートでは売れないので展覧会はやらなかったそうだ。曰く『麻生三郎と俺の絵はいつも売れ残った』そうである。ヘエー。
確かに日動画廊あたりが昔売っていたのは藤島某画家のような風景画だから抽象画の市場などないに等しいのかもしれない。なぜ市場を開拓できなかったのか?深い溝が経済と文化の間にありそう、悲しすぎる現実。
私はそれでもギャラリー南無の展示をする。古典的な美術品(もっと言えば書画骨董の範疇)ではない、心のコミニュケーションとしての絵画(私はアートと呼ぶ)がお金を介してどなたかの手にわたることを実現するために。・・・kusso!
写真はギャラリー暁の出品作

2014年4月17日木曜日

20世紀的アートを考える

「個の屹立展」のオープニングに参加するため銀座に出かけたので午後の空いた時間に画廊巡りをすることにした。幸運にも赤津先生とご一緒することになり 京橋辺りまで足を延ばした。赤津氏が評論した作家の個展会場にいった。花見宴展というタイトルなのでとてもこの時期らしく華やかな展覧会と思っていたら とても静かな風景の絵たちであった。花見宴は本名ということで物静かで端正な文学者または詩人風の中年の方であった。絵はとても色が純化されていて形体も迷いのない段階まで自分のものにしているようにみえた。それは誠実な感じがして心が和んだ。ただ人生の孤独のような寂しさはしっかり感じた。
個展会場で初対面の作家とある程度深い話ができることはそうはないが赤津氏と一緒だったので作家の方もそう警戒せずに心を開いてくれた。このタイプの作家とは特に貴重な経験ができたと思った。
彼は暮らしの周辺の景色などを納得がいくまでデッサンし頭の中で消化できたあと何も見ないで絵を〈油絵)描くそうである。すべてに迷いがない感じはそこからきているのか。
寂寥感については彼の生き方、暮らしが反映されているのかもしれない。それは魅力のひとつで訪れる人々が皆感動していた。私はそれについてやや不安を感じる。社会と個人の関係はゴッホのように時に悲劇につながり 同時にアートに比類のない価値を与える。甘味なストーリーだが、袋小路・・・(太宰を読み続けてはいられないような。そんな感じ?)
私は20世紀的な価値観として それをひとまず横に置いて 異なったアートを見出したいと思ってしまう。

2014年4月9日水曜日

南無の「飯田を愛する作家展」

今年も 花が満開になって桜の名所は華やかになった。私も肩の力が少し抜けて楽になる。ほんとに不思議と楽になる。・・・
いつもながらこの一か月は気候の変動のせいか 焦る気持ちに陥り 精神的にヘビーなってしまっていた。
そして地元ギャラリーの南無の飯田作家展のお誘いを受ける。辛かったらお断りすればいいとは思うが 実はそれはいけないと決めている。
この画廊は≪ 売る≫というコンセプトを大事にしている。それは美術愛好家と作家を強く結ぼうという心意気から出ているのだ。とかく頭でっかちな絵はなかなか売れない。独りよがりで尻つぼみになるアーチストを救おうと高邁な心が 私にはありがたい。尻尾を丸めてアトリエに逃げ帰るのはみじめすぎるではないか。画廊関係者に感謝しつつ、気持ちを上げていくこの頃である。
日程:5月3日〈土 祝〉~6日〈火 祝〉
参加作家:今村由男 甕恵美 林正彦
ギャラリー南無は たどり着くのがとても難しい、困ったものだ。http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=35.43217832&lon=137.78719875&ac=20205&az=40.42&z=16&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E9%A3%AF%E7%94%B0%E5%B8%82%E7%AB%8B%E7%9F%B342 このアドレスはギャラリー南無のマップです。

2014年3月31日月曜日

第2回「個の屹立展」

昔 朝日ジャーナルの記者だった美術評論家の赤津侃氏が ギャラリー暁で企画展を開く。そのタイトルは「個の屹立展」 そして私も参加することとなった。
期間は 2014.4.14(Mon)~4.19(Sat)
赤津氏によって呼ばれた20人の作家が展示する。何人かはどこかの展覧会で御一緒させていただいた方だと思う。
個の屹立として赤津氏に選んでいただいたことに感謝する。というのも個のオリジナリティーは良くも悪くも大事にしている一つだからだ。
あと、二三日ほどで今の絵を終わりにして出品作としようと考えている。14日には銀座に出ていくこととしましょう。

2014年3月23日日曜日

箱根

雨の中 箱根彫刻の森美術館に行ってきました。実に30年ぶりくらい。それはイタリアに行く直前だった。一眼レフのカメラを買って試し撮りをしたくて箱根登山鉄道に乗ってきた。そういえば、山いっぱいにアジサイが咲いていた。でも今回はそこかしこに残雪が灰色になっていた。それと今回は家族3人で訪れたことが大きく当時と変わっていた。
彫刻の森は野外ということもありとても開放的でぐじゅぐじゅ悩んでいた当時の私には 救われるような思いがあった。ヘンリームーアや ピカソは今もとても新鮮で 安心した。スーッと素直にこころにはいってくる。
まあ、30年たってもこうして絵に向かっていることに 一片の感慨もあるが さてさて、自信を持っていこうじゃないか。

2014年3月8日土曜日

飯田創造館の若造展

いろいろな展覧会で若返りを模索しているという話はよく聞く。私の関わっている現代の創造展もやっぱり若い人の新鮮な感覚を求めてもいる。しかし中々若い人の発表の場は少なく積極的にアピールしてくる人はいない。飯田創造館はこの状況を危惧してか若者向けの発表の場を3年ほど前から作った。若造展だ。その目的はとても楽しみなのだが、さてさて作品群はどうだろう。
先日上野の都美術館でも見て「ああ、はやりなんだなー」とややげんなり感じているのは≪少女の机の中のようなキラキラ ゴチャゴチャでかわいい作品≫が多いことだ。
感覚的な追及もいっぱい見ると平板な感じで限界を感じる。もう少し構造的な姿勢や高邁さがほしい。
確かに20代や30代に見ごたえのある作品を作れというのは酷なことだろう。自分のことを思い出せばよくわかる。全く作品らしいものは作れなかった。ただただ自信のなさと不安ばかりで、生きることさえままならなかったのだから。
『こう生きたい』という思いと現実のはざまで「いったいどういきたらいいんだ!」と苦しんでばかりいたと思う。
今はその現実があまりに大きく 「こう生きたい」という思いを抱くことが自分を苦しめる元と思い違いをしてしまって そこに焦点を合わせないようにしているのかもしれない。だから何の疑問もなく社会人に成りきってしまおうとするか 家に篭ってゲームしていたかと思えば 突然刃物で殺人をはたらくような形になってしまう。こう生きたいを抱いてもがくことは大事なのだ。優等生にはアートの世界は一番遠いところに在るともいえる。
60歳になって私は敢えて この「こう生きたい」がアートのモチベーションということをいいたい。
20代30代のころは大人の評価を価値あるものと考えがちだが 実はそうではない。価値は自分の中にあるんだ。こう生きたいと思って戦っていくことがアートの(作品の)価値なのだ。

2014年3月5日水曜日

ギャラリー暁Ⅳ展

今週 銀座のギャラリー暁でグループ展に参加している。一昨年画廊るたんで私は個展を開催したのだが たまたまその時期暁もオープンして多くの人が出入りしていた。そしてその中に知り合いがいて参加に誘われたのが第一回暁展であった。その時以来の参加である。
25人の大所帯の展覧会で人選はギャラリーによるもののようだ。その為統一感に欠けるのは否めない。まあ一般的な女性が多い絵画展。と言っては失礼かな。
さて、その前の週にこの画廊で開かれたのが「現代絵画シリウス2014」というグループ展。東京展の主だった男性中年作家を中心の展覧会のようでした。
実際見に行きたかったけど 2週連続の銀座行は無理で話だけの報告になってしまう。
なぜ特筆なのかというと この展覧会のうたい文句に 〈男作家 50代から60代前半の年齢 半固定メンバーで5回まで行う。〉といっている。まあこの時代に どこからかイチャモンが来そうないいっぷりである。しかし実は私も密かに拍手を送りたくなる声明だ。なぜなら最近の展覧会は女性の圧倒的な活躍ぶりが明白だからだ。色もきれいだし 画面の冴えもあるし なにより意欲的だ。それに引き換え男性作家は数も少ないし 面白みがすくない。...
ちょっと!なんとかならないの!ずーっと潜在意識の中で叫んでいた私に気が付いた。
ま~そうは言っても 自分の作品が良くならなければ何ともならない話なのだが、グーンと重低音をきかせた見ごたえのある作品を作っていかなくてはならないと思いを新たにした訳である。
同じ日 ギャラリーKで内海信彦という作家の20歳代の作品展を見た。53年生まれ、74年に慶応法学部を中退、 中村某画家から油彩画の基本を学び伝統画法でヨーロッパの神話的世界をシュールレアリズム風に描いた。(その頃の作品が展示されていた)その後多摩美を卒。当時の何かが唸っているような作品群であった。なぜそのころのものを展示したかったのだろう?なにかとても大事なことを感じていたからあえて今 それを公表しているのか?はたまた愛する自分を堅持したかったのか?
同い年の作家の同時代の青春、・・・熱い思いが何時の間にか萎えていきそうに感じて また一人一歩を踏み出そうとしている。  

2014年2月19日水曜日

絵画の中の物語性(或いは抒情性)

先日書店で手に取って読み始めたのが スティーブンキングの長編小説「11/22/63」。
漠然とした素人思いなのですが アメリカの小説は展開が大胆で構造が大がかりで楽しいし なんといっても映画的だ。今度のこれは2011年の主人公が1963年のダラスに行ってジョンFケネディ暗殺を阻止しようという物語。こう書くと荒唐無計ではあるが 中々惹きつけられる展開の長編小説だった。
その中で 自分と関わり合いのある昔の人と再び会って話が展開していくという部分は人の心をほっかりとさせるものがある。ある意味では 思い出の中を行き来するような 夢の世界のような甘味さを感じさせる。
そんなことを考えていたら 70年代の現代美術はずいぶんカサカサしていたなーとつくづく思った。無理もない、あのころの主張は〈常識を疑おう!日常の中に潜む甘えを暴き出そう〉だったのだから。
アカデミックな手法できめられたように描く絵画には心が入っていかなかったが ラウシェンバーグのタイヤを張り付けたような絵には度肝を抜かれて心酔したのもだ。それなりの時代の宿命というか 果たすべき役割があったのだ。
そのおかげで民主主義も進んだし、大企業の横暴から環境問題も進展した。個人も豊かになった。(原子力問題には あいかわらず手を焼いているが・・。)
そして今 思っているのは自分の絵画に 何かしっとりとした感情を喚起するテーマが必要なんじゃあないだろうか、ということなんです。確かにせっかく勝ち得た反近代の 価値は守りながらもソフトな今に合った抒情性はきっと要るんだとおもう。60歳の私はびくびく考える。
もう若い人たちは難しいことなんか考えずに いろいろな色を楽しんだり 絵の中に漫画表現を取り込んで 物語性をだしたりしている。映像作品なんか有無を言わせぬ吸引力で目をくぎ付けにしてしまうものもある。私たちが考えていた毒なものなんか へーチャラで 消化しているようだ。70年代の主張は若者にはもう常識なのか。・・・?
どこか ダダイズムの後のシュールレアリズムの流れに似ている。
スティーブンキングの小説のように時は確実に流れているんだ。そして今はもう40年前とは(すなわち 二十歳のころ)確実に40年が過ぎているのだ。

2014年2月9日日曜日

14th. 現代の創造展 そして雪

昨日は朝から雪がどんどん降り続いていた。前日から雪の予報だったから覚悟はしていたが でも大変な日になってしまった。コンテンポラリーの部門から2人のドタキャン者が出てしまってショックを隠し切れない。事務局の方からの問われることばにも少なからず責任を感じる。でもコンテンポラリー部門としてはそんなことを本人に問い詰める気は毛頭ない。作家の気持ちを縛るルールなんてないんだから。
とは思いつつも気落ちした自分もいたのは事実。まあ展示で気持ちを切り替えよう!と皆で作業に入った。書家の石原さんや立体の湯澤さん 小林さん、それに新人の伊藤さんが明るく作業を盛り上げてくれて 昼飯の弁当を一緒に食べるころは いい展示ができるはずと一体感ができていた。グループ展の楽しさはここだ。
松本や東京から来ることになっていた作家たちも何とか夕方には到着し 展示は完成した。美術博物館を出るころは 大雪も40cm位に達していたに違いない。晩酌を楽しみにみんな帰っていったはずだ。
現代の創造展は
2月9日~3月2日 飯田美術博物館  ご来場期待しています。

2014年2月4日火曜日

白川郷

伊那の文化会館で先日見た榊原澄人さんのような風景、なのか はたまたピーターブリューゲルの絵なのか その丘に登ると雪の白川郷はおとぎ話の風景のようであった。湿った雪の白と 黑に近い焦げ茶色のトーンはこの山奥の暮らしの 歴史の重さと人の生きるピュアーなものを感じさせた。
村の中に入ってみると合掌造りの家々はとても大きく重厚でなんだかマンモスの群れの中に迷い込んだ感じであった。大きな背中にはこんもり雪が積もり 雪の解けたところどころには緑色の苔がむしていた。時代感覚が崩れてしまいそうでわくわくしてくる。・・・・
思いもよらぬ発見だった。昨日新潟の仕事帰りの寄り道での白川郷体験である。

2014年1月29日水曜日

冬の陽に思う2

冬の陽に当たりながらの山仕事は気分がいいと前回語ったけれど それは自然に抱かれた気持ちよさで とても尊い感覚であると思う。もしかすると多くの政治家はその嬉しさを知らないのかなと思ってしまう。
福島の人々はふるさとの森で昔から癒されてきたし これからもそうなるはずであった。しかし、あの事故からその懐を失ってしまったのだ。でもその怒りを悲しみを日本の中枢は理解していないようだ。まだ日本の原発は「安全に再開」と言い続けている。
「そのままでいいんだよ」と人を受け入れてくれる母のような自然の懐という価値を消失させたあの事故は罪深い。思えば思うほど 福島のひとびとの声にならない声が痛ましい。
人の心は自然のダメージと同じだ。はやく回復にとり組んでほしい。切に思う。

2014年1月27日月曜日

冬の晴れた日には

今年の冬は 雪も少なく比較的晴れた日が多い。暖かい午後にはきこり仕事が何ともうれしいということは以前にも書いた。この頃 元アルピニストのきこり氏と出会いその奥の深い技術の一端の教えを受けた。自称きこりの私は恥ずかしい話だが実はチェーンソーの歯もまともに砥げなかったのだ。でも今は違う。名刀を手にした剣客のようにばっさばっさと木を切ってしまうのだ。
その元アルピニストのI師は私よりいくつか年上でとても自然体のおおらかな人であった。冬の陽がたっぷりあたった斜面で切り株に腰をおろし話すロッククライミングの話はなんとも興味が尽きなかった。山が好きでこの仕事を長くしているそうだ。町で会うスマートでぎすぎすした感じの人とは180度異なった人でとても落ち着いた気分になった。
さてさて、そんな経緯でことしもまた薪をしっかりつくろうと山に出かける日々だ。ほんの2時間ばかり体を動かすと すーっと心が落ち着いてくる。あー思い起こせば19のころ受験勉強のストレスもこの斜面で解消したなー。

2014年1月21日火曜日

NEXT展で映像作品を見る

伊那文化会館で18日から来月2日まで信州新時代のアーティスト展2013が開かれているというので見に行ってきた。今回は第4回ということでしたが私はまったく知りませんでした。3人のアーティストの展示で(アニメ作品の榊原澄人、コンテンポラリーの下平千夏、グラフィックデザインの轟理歩)手ごろなボリュウーム感だった。下平さんのインスタレーションは輪ゴムを20万個もつないで空間をロートのように作ってあってスケール感が面白かった。ゴムのにおいがライブ感を漂わせていた。
榊原さんのアニメ作品は私にとって新鮮であった。映像の作品というのは映画を見るような気持になっていないと中々楽しめない。というのも、大概映像作品は展覧会の一部で絵や彫刻のながれのなかで見ることになる。そうなると映像の流れる薄暗い部屋にちょっと立ち寄って ほんの数分チョイ見するだけだ。それでは作品の理解はできない。だから私は最近映画の気分で作品を見ようと自分を強いている。(なぜか展覧会場ではそれが出来にくい。)今回は全作品点数が少なかったのでゆったりと映像の部屋のソファーにすわった。
榊原氏の作品はノスタルジックでやさしくいい時間を過ごせた。いまの若者たちがアートの世界にいないと思っていた私だが実はPCなんかを駆使したこういった分野で自分たちの世界を広げているのかと今更ながら感心した。もっと作品を見る機会があるといいのにな。

さて、伊那の帰りにBaobabに寄って自分の展示の写真を撮って帰った。ここにアップします。

2014年1月15日水曜日

バオバブ


パン屋さんのバオバブで来週20日から小品展を開催することになりました。主人のMさんにはいつも快く承諾いただけるので割と自分の思い通り作品に取り組めている。何とか10点は展示に漕ぎ着けたいと只今奮闘中です。
小さな作品は私にとって中々納得のいくことが少ない難しいジャンルです。でも言いたいことを端的に表すには小品に勝るものはないしょう。また、部屋に飾りやすい点でも 重要なジャンルといえます。
どうもこのジャンルで私はチジコマッテしまってなさけない。出来不出来の波が大きい。こんな思いで自分に活路を見つけるべく小品展を行います。ご高覧を賜ります。

2014年1月13日月曜日

須田剋太展をみる

飯田市美術博物館で今須田剋太展が開催中である。かなり充実した展覧会でわたしのようなファンにはたまらない。飯田とはそんなにゆかりがあるわけでもないのにまとまった作品をよくぞ飯田市は所蔵していると私は賛美を送りたい。兎角バブル期のことは良く言われないがこの所蔵に至る経緯は調べてみたいものだ。今回特にすばらしいと感じたのは書とその表装!あんなに自由に生きられる作家はそうはいない。まだ見てない方はぜひ!

2014年1月8日水曜日

ギャラリーNatsu 夏

初めての作家たちのなかに入って 初めのうちは緊張していたけど、だんだんにワインのせいで気持ちがオープンになり 夜中にはもういっぱしの同志気分になっていた。
この画廊はオーナーの高田さんと 今回の企画『富山からの出発』の河口氏によって昨年オープンしたそうだ。富山の中心地大和デパートのすぐ前で人の行き来はまずまずありそう。私の地元のシャッター街よりはかなり活気がある。こういうところでアートが生きずいて行って人々の中に浸透していけば素晴らしいんだがなー、もちろんわが地元でも。