2015年11月23日月曜日

CAF.N 鑑賞

CAF.N 展の最終日になってしまったが、やっと会場いく。『これは何だ?!』と腰を抜かすような作品には出会えなかったが、全体にやはり質の高い作品がそろっている。それぞれが長い経験と技術を駆使しているといえよう。
問題意識が社会的なもの、個の存在に問を立てるもの、そして美術的表現の中に人間を浮き立たせようとするものなど大きく三つの流れがあるように思われる。なかなか深い思いがそれぞれにあるので ちょっとした時間では理解できない。でも作品に押しつけがないので軽く鑑賞して歩いてもそれはそれでいい。それでいい時間と思う。
あの大震災を引き続いて問題にしている作家は果たして半分くらいいるのだろうか?東北の作家からの問いかけがあった。深く考えていかなければいけないテーマと私は思うが 時が流れて関りがないような作品が増えていくとしたら残念だ。

2015年11月16日月曜日

メキシコ チアパス展



先月15日に送り出した「芥子図」の展示の様子が 交流展に現地に赴いた方々から写真が送られてきてやっと感じがつかめた。パンフレットはやや素朴な感じでどんな展覧会になるのやらと 実は心配していたのだけれど なになにとても壮大な展覧会のようだ。出品作品も輸送の心配をものともしない工夫でかなり質が高いといえそう。
「行きたかったなー」と写真を見ながらため息をついてしまった。
来年1月に報告会があると聞くので 今度は出席したい。


2015年11月11日水曜日

CAF.N展の搬入

コンテンポラリー アート フェスティバル 通称CAF.Nが二年ぶりに埼玉近代美術館で開催になる。昨年と一昨年は館改修のため仙台メディアテークの開催であったが私にしては ずいぶん遠隔地の印象で昨年やっとやっとの参加でした。
今年は久々に自車に作品を載せて搬入に向かった。この季節はほんとにドライブ日和で (とは言っても雨模様の朝でしたが・・)毎年紅葉に心が洗われる思いがある。伊那市から茅野にかけての森の色は絶景そのもの・・・。くどいが毎年感動するんだ。表現者の端くれと信じる私にもどう伝えればいいのか分からぬほどの美しさに。
今年は霧雨にしっとりと洗われた感じが神秘的とさえ言えた。贅沢な時だった。
さて、この展覧会は関東を中心にコンテンポラリー系の作家が 公募団体の枠を超えて横のつながりで開催をして画期的な展覧と思われてきたが、世代交代的な時期を迎えているようにも思う。なかなか関東地区の作家たちと交流する機会が少なく 行動のかかわりが希薄で申し訳ないと思っている。ともあれ会期中はぜひ会場に来ていただき、いろいろと意見を聞きたいものだ。
期間/11月11日から22日まで
場所/埼玉県近代美術館

2015年11月2日月曜日

久々 平面領域展

犬塚画廊復活記念展と名付けて 11月1日から8日まで飯田市のギャラリー吾亦紅 および犬塚画廊で平面領域展が開かれる。
メンバーは佐々木敏彦「漆芸」 桐生好「インスタレーション」 原隆夫「ミクストメディア」 と私の4人、前回より一人寂しい。この写真は吾亦紅の展示風景。
犬塚画廊とは1階の画材屋さんの上が20年ほど昔は画廊だった・・・そこを復活させようと桐生さんと画材屋さんの湯澤さんがこの展覧会に向けて準備したようです。飯田のちょっと前の文化を感じさせる空間で懐かしい空気がある。きっと僕たちが高校生のころ ここで個展をした作家たちがいたのだろう。山本弘さんはやったのかなー 
平面領域展は前回くらいから既定の展示空間にこだわらない「場」に挑戦している。
前回は町屋の古民家でやったのだが私は作品がなじみすぎてしまうのでパスしてしまったのだ。原さんは屋敷の暗い所にCDのきらきらしたコラージュを展示して存在感を示していた。
今年 私はアンフォルメルのような特異空間や、茶室ではうまく展示できる可能性を見たのだが、民俗的 民芸的空間はどうも同化しすぎてしまう。・・・
今回も犬塚画廊の展示はいい空間にはなってはいない気がする。・・・むずかしいな。
自分の表現の中の時間感が民芸的なものと不協和音をだすのかなー。

2015年10月17日土曜日

アンフォルメル美術館

この美術館は長野県の中川村という人口も疎らなところにあって その中でも取分け山間の森の中にある。私も正直過去に3度ほどしか訪れたことがないし、そのうち2度は道に迷い、1度は訪問を断念したくらいだ。
しかし、地方の忘れかけた施設にはほんとに素晴らしいものがあり、「もったいない!」と思わず口に出してしまう。
眼下に天竜川の流れを見 、目前には駒ケ岳をはじめ中央アルプスの白い山並みを望める。周りは松林を中心にした自然林。さぞかし今年の秋はキノコが採れたに違いない。
そしてその建物は驚くほどの現代的なものだ。そこがまたいいんだな。
説明書によれば、1950年代に鈴木たかし画家がフランスでアンフォルメル美術運動に参加し帰国後 この地に2億円という巨費を投じて建てたそうである。建築家は毛網毅廣という方。1989年完成であるが間もなく鈴木氏が亡くなり 後に 中川村に寄付されたそうである。
中川村美里地区の管理委員会がやっとやっと運営しているようなのだ。なんといっても、訪れる人がイナ過ぎなんだ。とてもいい環境なのに・・・「もったいない」。
・・・バブルの後のさみしさよ!ということなのか。・・
さて、私はこの機会に大いにアピールすべきで、名古屋の個展でチラシをばらまきに ばらまきました。お役に立てるかなー?

私の個展は11月15日まで開催中!
場所は アンフォルメル美術館アトリエ棟!   10月24、25日はお待ちしております。ハイ!

2015年10月11日日曜日

コラボレーションについて

昨年 ギャラリーシモンで展示した「沈殿する意思」という作品をつくった時 和の何か例えば茶道のような・・と組み合わせてみたいと思った。 また、音楽とも組み合わせてみたいとも思っていた。
不思議なものだが 思えば道は開けるものだ。今年相次いでそれを実現できた気がする。もっともっと発展させて楽しみたいなー、いろいろな方々と。
さてそれは、名古屋のギャラリー芽楽で個展を只今開催中ですが 初日に長久手市文化の家の生田さんというチェリストにバッハを演奏していただいたのだ。チェロの音は体に直接響いて なんか胃とか腸に波が伝わってくるよう。
〝 生の感じ"が土の肌合いと合うだろうなーと思っていたがその通りで感じいい空間が演出できた気がした。
今週はとても多忙だが その次は中川村のアンフォルメル美術館でも私の個展が昨日始まった。そこで前述の「沈殿する意思」をその美術館にある和モダンの和室(茶室のよう)に展示できた。
なんかぴったりな感じで 我ながら驚いた。
山の中の美術館なのにちょっとかっこいい美術館だ。ぜひ多くの人に足を運んでいただきたい。

2015年9月25日金曜日

Japan & Chiapas art exchange exhibition 2015 (Mexico)

昨年から計画が始動してきたメキシコでの展覧会がいよいよ来月に迫った。パンフレットも出来上がり気持ちはもはやテキーラ・・と行きたいところではあるが 現実はそうはいかない。
そもそも参加を二つ返事で決めたはいいが 先立つもののことを考えていなかった。やむなく作品だけの参加となったのであるが、作品を送ることもそう簡単なことではなかった。昔イタリアから帰るとき在学中の作品を業者を通して送りその後目玉が飛び出すような費用を請求されたことを思い出した。 今もそう変わらない状況であった。
何かいい方法はないかと一年間の試行錯誤を経て  掛け軸風の形態にたどり着いた。太いながら巻いて メキシコに持って行ってもらうことにしたのだ。同行の右近さんお世話になります!
この展覧会は そもそもメキシコ チアパス在住の画家花藤氏
と交流を続けこられた作家の渡辺久美子さんが交流展委員会を立ち上げ  その後評論家の赤津氏が作家を集めたもの。私も末席を汚すこととなった。
海外との美術交流は作品の移動がいつも問題でなかなか展開していかない。(それに引き換え、版画系は丸けて送れると言うメリットを生かして積極的に展開している。知り合いの版画家たちは いつも海外展の話をしていてうらやましいよ。)
さて、メキシコ画家たちはどんな仕事をしているのかな。渡辺さん、右近さん、赤津さん!・・・土産話が楽しみですよ。それとテキーラ?。

2015年9月14日月曜日

土蔵

 
 
 
赤土講座で「自分の中を見つめて言いたいことを見つけ出しましょう」なんて言ったら受講生の一人に「訳わからないです。」と言われてしまった。
確かに「自由に描きましょう」とか、「自分に素直に!」なんていきなり抽象的なことを言われても 具体的に手は動かなくなってしまうのかもしれない・・・
困り果てて1日目の帰り道 土蔵の解体現場に出くわした。
そうだ!わたしは土壁が好きで あの感じを表現したかったんだ。絶対忘れてはならなかったを思い出した。
あの土の厚み、色の深さ、造形の圧倒的な存在感。トーンの味わい・・・
思わず写真をバシャバシャと取り始めていた。
もし、受講生の方が土蔵や土壁が好きだったら きっと同じ感覚を持つに違いない。明日は土蔵の土壁の良さを再現してみようと言うことにした。
同じ気持ちになってくれるかなー

2015年9月8日火曜日

赤土と麻袋を使って表現する講座

9月12日と13日の2日間飯田市の創造館で赤土を使って自由な表現にチャレンジする講座に私が講師としてチャレンジすることになった。
私には伝えるべき技術など何一つない。それを伝えたいのだけれど可能だろうか・・・。
なぜ水彩やアクリル、粘土、油絵具などありとあらゆる表現技法が世の中にあるのに あえて 赤土なのか?そこのあたりのことを考えてもらいたいというのが、私の今回の目的だ。
あまりに素朴で融通の利かないこの素材に心素直に対峙してもらいたい。泥をぺちゃぺちゃ捏ね回してもらったり わーっと叩きつけてもらってもいい。泥と布をめちゃくちゃに画面に貼り付けてもいい・・・
描写でもなく  どこかで見たことのあるような絵ではないオリジナルな何かを作ってもらいたい。自分の理性のコントロール外の何かに触れてもらいたいと考えているのだ。
いきなりそれは難しいかな?・・・・チャレンジですね。

2015年8月31日月曜日

jazz美山晃大コンサート

 
展覧会が終わりいつもの生活に戻る前にジャズコンサートある。今回の三人展は不義理の続いた高校同年生の多くに再開した。気詰まりな感じは最初だけでその後は親しく話せるようになったのもうれしいことだった。さて、その中の美山君もその一人で この日のコンサートに私を呼んでくれた。それも絵をステージに展示してくれるというものだった。彼は昔からジャズピアノの名手で文化祭のヒローだったなー。
かねがね抽象画はクラシックやジャズにとても相性がいいと思っていたのでこのチャンスはとてもうれしかった。取敢えず簡単に展示できる作品を持っていったのだが・・。
写真は展示してコンサートのリハーサルを見ているときのもの。果たして彼らの空気にどう調和してくれるのかこの時の私は不安でいっぱいだった。
夜の7時を過ぎたころ コンサートは始まりすぐに熱気に包まれた。盛況そのもの、70人を超える人たちで立ち見客もいるほどだ。
休憩に涼を求め外に出ると、ステージの絵が素敵だと言ってくれる人がいた。「あー よかった・・!」やっぱり音楽との相性は悪くないんだ。同期生美山晃大氏のピアノの素晴らしさに感動しながらも 音楽とのコラボの可能性に喜びを抑えられなかった。
そして もう一つ付け加えれば地方も文化の蓄積の時代に入ったんだと感じ うれしい夜だった。

後日美山氏から送られてきた写真は ひょっとして かっこいいじゃん!

2015年8月28日金曜日

3人展終わる

高校の同期生がこの展覧会をまるで45年ぶりの文化祭のように思って応援してくれて 初日から人が絶えなかった。在学中に話したこともないような人にも親しく楽しく盛り上げてもらった。オープニングパーティーではミニコンサートのような演奏もあり懐かしさが噴き出した感じであった。
私としては 陶芸の展覧会と同会場でやるのも初めてだったので、来場者の「かわいいー」とか「素敵-」とか言う反応の強さにほんとうに驚いた。もちろん樽沢君の作品の良さもあるのだけれども実用性のあるものは実感がが強いんだな。・・・その点絵の良さとは何だろう。単なる部屋のアクセサリではない何か特別なメッセージがそこには必要だと思う。
私はその点がちょっとかもしれないが伝わった気がしてこの展覧会を喜んでいる。
それから伊那谷の風景をじっくりと描いた手塚君にも目を見張った。いつの間にあんなに描いたんだろう、今どきの教師は拘束時間が長いのに。相変わらずオーソドックスな姿勢だ。私の知っている彼の内面はさしてオーソドックスとは思えないのに・・・
今回とてもうれしい話の一つが、同級生の中に中村壁の家があったことだ。私の絵の話を聞いてひょっとしてうちの壁も中村壁かもといって見せてくれたのだ。飯田の大火(戦後まもなく)の後建てたらしいその家は柔らかい優しい赤い内壁で お父さんの位牌らしいそのうしろには高村光太郎の軸がかかっていた。東京に住むその友人は時々来て部屋の空気を入れ替えるのだそうだ。夏の終わりのしつこい暑さも家の中は涼しい風が流れていた。帰ってきたらまた連絡しようと言って別れた。


2015年8月19日水曜日

明日からいよいよ3人展

暑さに負けてダラダラと過ごす夏も 百日紅が咲くといよいよ緊張感が漂い始める。展覧会の季節の始まりだ。
早速明日からは 高校時代の美術班3人組の展覧会が始まる。この展覧会はなぜか心がざわつく思いを消せない。なぜか?・・・18歳の我々は『芸術家』を目指さし石膏室にした。そして、芸大受験、浪人生活、・・・その辺りから少しづつ方向性が異なっていき、芸大生を経て、陶芸家となった樽沢。プロの技と迫力を感じさせれくれるに違いない。
信州大の教育学部を出て、教師の道を歩んだ手塚。落ち着いた日々の暮らしの目線からとても美しい絵を見せてくれるだろう。
私といえば なんとか美術に食らいついていこうとイタリアに学び、その後工場勤めをしながら土の絵を描き続けた。現代美術のジャンルと言っていいのかその道はなかなか食っていくのに険しくて 中途半端そのものだ。
40余年を経て一同にそれぞれの作品を並べるということは、取りも直さずそれぞれの歩んだ道を公に発表しあうということなのだ。
そして、終着点ではなく、至らないところを感じあい、自分の道を進み続けなくてはならないのだ。・・・それはどうしようもないことだ。


「そんなことはわかりきっているよ!」と二人に叱られそうだから、そっと自分で決意して 鏡を見た今朝だった。

2015年7月31日金曜日

アートをめぐる3人展

前々回のブログで少し触れたのですが、高校の美術班のメンバーが40年の時を経て、地元で3人展を開催できることになりとても嬉しい、 手塚君の発案に感謝。そして同級生のご協力にも改めてありがとうを言いたい気持ちである。
案内状を準備しながら 少しづつあの頃を思い出す。芸大合格をめざしデッサンをまじめにしていた樽沢君、そういえば文化祭のシンボルタワーにも力を注いでいたな。美術だけではなく文学的素養を持って絵に取り組んでいた手塚君、批評眼はあの頃も素晴らしかった。私は取り組むべき芸大受験もなかなか打ち込めなかったが、アートが全てだとだけは考えていた。若気の至りだ。
40年はそれぞれの道にそれぞれの重みを持って過ぎていった。つくばで窯を持つ陶芸家樽沢、教職を経て日本画家として本腰を入れ始めた手塚、そして私は相も変わらずアートがすべてと思いつつも現実は会社勤めの日々であった。やっと定年が過ぎ絵描きの暮らしだ。さてさてどんな展覧会になるのだろう・・・そして第三者にはどんな意味になるのだろう。人生に対する考え方が 高校のころから漠然としながらも少しづつ異なっていた。それがある形になっているのだろう。とても怖いが 見てもらえることを良しとする余裕らしきものが この年になるとうまれる。余裕というより諦めなのか・・・
同級生はもちろん多くの方々、ご高覧を!
そして人生を語ろう・・・・・・・・・8月20日木曜日から25日火曜日まで。終日私は在廊の予定です。
オープニングパーティーは初日5時半から。

2015年7月23日木曜日

ミホミュージアムの若冲と蕪村展

春の展覧会で出会ったお客さんに「ぜひ行くように!」と勧められた信楽の美術館を昨日やっと尋ねることができた。人里離れた山の奥に突然現われるその建物は殊の外おしゃれな物だった。
企画展が『若冲と蕪村』というもので 先日澤田著『若冲』を読んだばかりの私にはとてもタイムリーな展示と言える。遠路来たかいがあるというのもだ。
2人は同世代京都で活躍したということでこういう企画となったのであろうが、なんか蕪村にはかわいそうな展覧会に思えた。文人画家について私は無知なので何も言えないが絵としては正直惹かれなかった。まじめだが楽しい想いを感じることができなくシブーイ感じだった。(よくサッカーの試合で苦戦してやっと引き分けたときに使うあのシブーイの感じ)
一方 若冲は頭の中に「絵はこうあるべき」なんて考えてないからおおらかで思わず笑いがでそうに楽しめた。彩色画展示はほとんどなかったが、水墨の水をたっぷり含んだハーフトーンの柔らかさはうなるしかないほど美しかった。水墨画は気張った感じがないから余計に自由さを感じた。
蕪村は大阪の貧しい百姓の出で 京の都で文人画家として名を成すにはそれはそれは厳しい人生であったことであろう。かたや若冲は京の大店の出。貧しさと豊かさ その対比でこの二人を見ていいのだろうか?そう思うとこの企画の意図が いまいち解らない。

2015年7月21日火曜日

ギャラリー暁のグループ展、そして3人展の予告

今月から来月にはグループ展が続き 今は銀座のギャラリー暁で現代絵画・抽象展が25日(土)まで開催中。私は『水樋』という作品を出品しています。近くまでお越しの方はぜひ立ち寄りを。

さてここにチラシを掲げましたが8月には地元で懐かしいメンツ3人の展覧会を開催いたします。
オヤジ面を並べて恐縮至極ですが 高校時代の美術班同期の3人樽沢泰文(陶芸)、手塚俊尚(日本画)と私が、やっと展覧会にこぎつけました。
60歳を超えると以前あった妙な功名心というか 見栄のようなものが抑えられて 肩を張らず発表ができそうです。なんかとてもうれしい気持ちでうきうきしています。
さてさて多くの方々 同級生たちが見に来てくれることを期待してチラシ配りに奮闘中であります。なぜか作品作りが手薄気味なのが気がかりではありますが・・

2015年7月8日水曜日

若冲、エフエム、グループ展

1) 澤田瞳子著『若冲』を読む。生涯独身、京都の豪商の跡取りで若くして弟に店を譲り絵三昧の生涯、冴えに冴えた色と形・・・。私にとってミステリアルな作家であリ続ける若冲の物語ということで、急いで取り寄せ読み始めた。
内容は、;実は妻がいたがすぐに自殺してしまう。大店の商いには意欲がなく母親ともうまくいかず、結局店を実弟に譲る。また、その自殺した妻の弟とはその死に関して確執が生まれる。そんな状況で、若冲は好きな絵に逃げ込まなければならなかった。義弟は若冲の贋画家となり陰でぴったりとまるでストカーのように偽物を作っていく。確執はますます深くなる。・・・丸山応挙、蕪村、谷文晁が登場してその時代が立体的にイメージできた。が、彼の魅力を特異の画家、人間の醜いところを見つめた生き様、と割り切るのは少し残念に思った。なんかもっと深い人間の未分化の部分でオリジナルな生き方を求めていたような気がする。そこが私を引き付けている部分であるが・・・
2) 飯田エフエム放送のてらだいらさんの番組『マイ フェーバリット シングス』に呼んでいただいたので、7月の毎週金曜日の午後1時過ぎに10分ほどお話をしている。絵の話のつもりで行ったのにいつの間にか、イタリア料理になってしまった。
3) 今週は銀座のギャルリー志門でグループ展〈想像力&創造力〉に参加しています。会場に居て来客と話をしたいなと思っていてもなかなか東京は遠い。積極的になれないのはなぜなんだろう?心にエレルギーが不足している・・・かな、それとも金欠。梅雨はまだまだ続きそう。

2015年6月20日土曜日

いい絵とは何だろう

この間 大きな回顧展的な展覧会に行った。外国に長く住んで地元に溶け込んで制作してこられたらしくとても落ち着いた生活態度を感じさせる作品群であった。実力もとてもある作家で若いころからいい作品が並んでいた。ゴーギャンふうの油絵たち、版画。そして、戦後の現代美術的作品。今は現地の文化に融合した独自の境地。それに彼を慕う地元の若い作家たちの作品。いい展覧会と思った。
しかしへそ曲がりの私は昨日あたりから、今少しの物足りなさを感じていたのに気が付いた。・・
なんだろう?作家の生きる姿勢、上手さ、美しさ、とても、まねのできないエレルギー。恐れ入ることばかりなのに・・・
アートは自分の生き方の表現とすれば、元の生き方の部分で見る側と全く次元が異なればその表現によほど惹かれない限り語りかけてくる言葉は外国語だ。
例えば バスキアを昔見たとき何かを感じた。若冲もそうだった。どちらも作家の生き方は全く知らなかったのに強烈なメッセージがあった。(その後どんな人だか調べたのだが)
天才と言ってしまえばそれまでだが・・・絵の力はたとえ外国語のようにチンプンカンプンでも一番重要な人間に生きることに関係する何かに触れていれば一気にインスピレーションが波動する。
そこを考えると彼の展覧会は私に強く刺さることはなかったということか。
ああアートは怖い
この言葉が私にも向いているんだから。

2015年6月18日木曜日

南信州交流アート展いん渋谷

15日月曜日には、表題のグループ展が東京渋谷で開会した。委員の今村由男氏と日本画家の小池誠氏と共に車で上京、なかなかの楽しい旅になった。
渋谷の会場『アートギャラリー道玄坂』には5時を回ると立錐の地もないような人出であった。しかも関係者ばかりなのに。主催者の企画に驚くばかりであった。また、都会で活躍している牧内氏や宮島さん、樽沢君、細井さん、南島さん兄弟、前沢さんらに久々に会えたのはなんともうれしかった。方向はそれぞれでも同時代の意気を感じて頑張ろうと感じざるを得なかった。こんな交流も時々はいいもんだ。委員の前沢氏に改めて感謝。写真はオープニングであいさつする渋谷区長、ずいぶん若いんだな~。
翌日は同乗の今村氏、小池氏と共に川崎の岡本太郎美術館をなんとか訪ねた。いい美術館だったが ナビが古かったために行きに、羽田に行ってしまったのは、ご愛嬌・・・珍道中。

2015年6月2日火曜日

花ー(バラ)

なかなか雨が降らなくて野菜の値段が上がっているそうである。
しかし雨が降らなくていいことはバラの花が長く楽しめることだ。今年で2回目のバラシーズンになる私にはちょっといい気分でいられる。
多趣味の知り合いについ自慢したくて私の庭の写真を見せると褒められた。嬉しくなったがついでに彼のバラも見に来るように誘われた。
 昨日彼の家を訪ねてみると いやはや素晴らしい!。
その道はどんな分野でも深いものだ。・・・
これから大変な手入れや 管理 を山のように覚えてやっていかなくてはならないこともよく知った。
私には不向きかなと弱気にもなってしまった一日であった。
左は私の庭のバラで、右は知人宅。

2015年5月23日土曜日

この季節はいろいろな花が一斉に咲くが・・・。

花を描くという思いは今まであまり抱いたことはなかった。 ここ数年前から両親が育てている芥子の花を見たらその不思議さについつい描く気になった。「その不思議さを伝えたい」との思いだけで描いてみた。しかしそのストレートの思いがなぜ絵にならないのか不思議だ。どうしてもこれでは写生の域だ。
私は今まで具体的なものを描くということを嫌ってきた。仕上がりの段階でいつも自分に嫌気がさしてしまう。ものの見方に自分なりの工夫や強い思いが構築できてないからか・・・?通俗的な感じになって面白くないのだ。
とは言っても世の中には具象系の絵でいい絵がいっぱいある。そういう域に達するには作家の解釈 またはくせが(生き方みたいなもの)相当あって 傍から見ると 面白いということになる。
しかし自分ではたぶん解らないことだろう。だって、自分のダメな部分をどうやって自分の中で許していくかという 結構つらい戦いの中のあがきなんだから。 「どうですか、面白いでしょう!」なんてとても言えない。
その戦いは私たちは美術史の中でゴッホとかゴーギャンで見てきている。 
なんか、もっと違った先が真っ暗な戦いではない方法を探している私は 非具象的な表現で 自分をギシギシ追いつめるのではない表現の世界の可能性を夢見ているのだが・・・・・・・・・・・・・・
 

2015年5月7日木曜日

南無展を振り返る

飯田市の立石地区にあるギャラリー南無は普段は閉まっていることが多いが、ゴールデンウイークのような比較的長い休みには展覧会が開かれる。今年のこの時期も今村由男氏と土屋智恵さんとの3人展ができた。この地区は飯田の市街地からは車で30分の山間の里。何とものどかな山里だ。飯田に住む人でさえ「こんな里があったのか」と驚く。そして初めての人はなかなか辿り着けないくらいアクセスはよくない。まあ敢えて言ってしまえば住んでる人ぐらいしか行き来のない所だろう。
そこへこの5日間で200人弱の方々に来ていただき また多少なりとも作品を求めてもいただけた。青葉の季節に後押しされたとはいえ とてもいい展覧会にしていただいた。来客者をはじめ オーナーの企画力持続力 そして周囲の応援者の方々に感謝したい。
さて、ここ二~三年私は今村氏の教えを乞いながら≪作品を売る≫ということを勉強させていただいている。人に身銭を切っていただくということの難しさを痛感しているのだ。
人の部屋に自分の作品を飾っていただくには・・・?それを考えると今までのように描きっぱなしのような制作態度では作品はまずまず嫁がない。・・・・配慮とか必要なんだね。勉強だ!
(天才は多分そんなことは考えなくとも人の部屋でその人を充分喜ばすのだろうけど。)

2015年4月28日火曜日

草刈りの季節の始まり

私は山間地でコメ作りをしているが、本当ににわか仕込みの底の浅い農業で言うのもちょっと恥ずかしい。しかしこの時期の里山は何にも代えがたいほど豊かさを感じさせてくれるのでつい書いてしまう。ちょっと前まで野に出るのが億劫だったのが我ながら嘘のように外はたのしいし あかるい。
ぼつぼつ田植えのために田を作っていかなくてはならない。そのためには耕し、水を引き、代を掻く。それから畔の草刈り。私は田んぼの土手が散髪屋帰りのようにきれいに刈られている風景がすきだ。とてものどかに思う。ただ自分が草刈りをするのはのどかではないし やや(かなり)重荷だ。昨日は一日ビーバー(草刈機)とともに過ごした。山間の田んぼの畔を刈りながら小さな花々をめでる、雑草と言ってしまうのは少しかわいそうに思うほど数ミリの花が咲き乱れていてきれいだ。・・・でも 刈る。 野ビルを刈ると玉ねぎを切った時のようなにおいがする。
山付けの土手に近づくとふーっと甘いにおいがした。なんだろう?こういう予期しない出会いがあるのも自然の豊かさだ。山裾に入り込んでくんくんしながら探してみた。かすかな甘い感じはなんだろう?・・・やっと見つけた。小さな白と紫の花がつる状の枝の葉の裏にいくつも咲いていた。、くちなしのようなにおいでイメージを膨らませていたのでその花の印象はとても地味だった。名前は知る由もない。細い木であった。今朝調べてみるとアケビの花ではないかと思われる。あんないいにおいがするんだー。
私はインドア派だろうけどこの季節は自然の中で過ごしたいとひそかに思った。

2015年4月17日金曜日

連休の展覧会

ゴールデンウィークは前回お知らせしましたように地元のギャラリー南無にて3人展を開催いたしますが、実は同時に東京のギャラリー志門にて開催される5th現代作家オークション小品展にも参加いたします。お近くにお出掛けのさいはぜひお立ち寄り頂きたいと存じます。
fece bookにより入札状況が見られます。ぜひご入札の参加もお考えください。
もう一方、ギャラリー風も「日本・チアバス芸術交流展に向けて “和の心と形展”」にも参加しております。こちらもぜひお出掛け頂ければ幸いです。
ギャラリー志門;中央区銀座6-13-7新保ビル3F 03-3541-2511 5/11から5/16まで
ギャラリー風;中央区銀座8-12-13豊川ビル4F 03-6226-2797 5/1から5/6まで

2015年4月10日金曜日

南無展2015


南無展の季節となりました。以前 書いたことですがきゅうりを作っている友人が 冬の間鬱状態でも春になって きゅうりの苗がにゅくにゅくと育ち始めると なんだか突然元気になって体が元に戻る。と言っていたが なんだか私もそれに似て 南無展になると体が動き始める。小品を中心に新作の展示をめざして 現在奮闘中です。

2015年4月2日木曜日

桜満開近し農事始まる

春の日差しは目に見えて強さを増している。本当に戸外は明るいし暖かになった。絵の仕事は部屋の中なので、どうも暗いような鬱々な感じ。それに引き換え田畑での仕事はまぶしく晴れやかに思う。近くの人たちは野で働き始めたようだ。トラクターの音が響く。引きこもりのような後ろめたさがわが心には巣くっていて素直に外に出てみようとなかなか思えない。・・。
飯田の大宮あたりの桜の花も咲き出したようだ。私の家はやや標高が高いので、今梅が満開といったところである。
さてさて、そうは言いつつも、わが家でも稲の作付けに取り掛からねばなるまい。来週末に籾蒔きをするために籾の消毒をする。籾を希釈した消毒液につけるのである。理由を年老いた父に聞くと「ばか苗病予防」とのことであった。ばか苗病。。。どこの世界にもばかは居るのだな。
農協から買ったこの籾は昨年の稔りの時 感染している可能性は十分あるのでしなければならない予防のようだ。( PCで調べた。) 全く知らない分野での話だけに 知ったかぶりして夕方 妻に話してみた。『ばか苗病というのは 菌が稲に感染し 種籾が発芽するとき ジベルリンという物質を発生させその籾の成長を狂わせるんだそうだ!』 すると妻は『ジベルリンって 種無しブドウを作るときに使うやつだよね』といった。わー!絶対知らないはずと思っていたのに。でも、怖い病気だとリアルに悟った。
 後で 『何で知っているの?』 と妻に聞くと 昔林真理子の小説に出ていたとのことであった。

2015年3月24日火曜日

春の訪れ

春になる前はなかなか心のエレルギーがチャージしてこない。・・毎年こんな気持ちで悶悶として桜の時期を待つのだが ここ2年ほど銀座のギャラリー暁がグループ展に誘ってくれているのでなんとかかんとか作品を発表する気になっている。
昨日はオープニングパーティーがあったので上京ということとなった。久々に多くの方々に会いちょっと気持ちが張ってきてエネルギーチャージ感があった。
『いよいよ春か!』

2015年2月8日日曜日

現代の創造展、ギャラリートーク


ギャラリートークを昨日今日の2日間現代の創造展会場のコンテンポラリー部門で行っている。
なぜか多くの出品者は作品を展示するとあとは作品が語ってくれるからと、自作の前で語ることをしない。私はこの頃そうは考えていない。というのも自分の作品は 美術史上の名作のような圧倒的説得力はとても持たないだろうし、その名作だって、多くの才ある評論家が言葉を尽くして意味を定着させてきたのだから、・・自分はその意味するところをせめて自分の言葉で置き換えてみる努力はすべきではないだろうか、と考えるのです。
そうして参加者を募ってやってみたら、若手作家が(写真の中の葉脈=Vineという作品、松井のの子さん)が堂々と自分の中から作品が生まれる動機を語ってくれた。 とてもみずみずしく、感動を呼んでいた。多分この話を聞いた人はこれから先のの子さんの作品に触れたら必ず彼女の世界に入っていってくれるだろう。

 より多くの皆さんにギャラリートークを聴きに来ていただきたい。美術の形も変化してきているのだ。

2015年2月5日木曜日

音痴はない

音痴はないというタイトルに惹かれて先日図書館で本を借りてきたが思いの外いい本でだった。僕は著者のように中学時代音楽の授業が地獄であった。一人で歌うと音程が取れないのだ。そのくせ合奏とかみんなと一緒に騒ぐのは嫌いじゃなかったので、ブラスバンドに入ってしまっていた。
若気の至りで今思い出しても冷や汗ものだが、そのブラスバンド員が音楽の時一人で歌うと  それはそれは何とも情けない歌であった。だから今でもカラオケは行かない。トラウマだ。
さて、この本が掘り下げている一つは、音程(西洋音楽の)の概念をまず外して 単純に“音”だけをみんなで鳴らしてみる。それを大勢で、交互に鳴らしてみる。すると リズムのようなものが出てきてだんだん楽しくなり 高揚してくる。・・・それって、音楽の楽しみなんじゃないの?!
私もそれはよく知っている。だって、ブラパンにいたんだから。
ここで、大事なのは音楽は楽しむもので、音楽は勉強するものではないところだ。ところが一昔前の学校は西洋式の音楽が真の音楽であって、身につけるべきもの、習うもので、なんとなく歌えてしまう炭坑節は音楽の範疇ではなかったのだ。
この考えはいま、徐々に改まりつつあるが、ひとびとの底辺では割と執拗に生きているように思われる。例えを美術に変えてみよう。上手く描くことが絵の最大の価値であると多くの人が考えていて 展覧会で私が描くような絵は「わからん!」とことも無く言い 見ようともしていただけない。
音程を上手く操って歌う歌が音楽のすべてだ、と言っているのと同じだ。ジャズやパンクは認めない。 絵も音楽も勉強して、修行して行くもんだよ。と考えている。先生とよき生徒のみが美術や音楽の世界に居ることができると・・。
でも、基本はすべての人が心を喜ばせるもの、心を遊ばせるもの。その点が重要なことなのにそこへの着目がない。考えようとはしない。
一部のエリートだけが、音楽や美術を楽しむものではない。心の中に自由を羽ばたかすのはすべての人ができることなのだ。音痴といって音楽の外にいる必要はないのだ。
私は現代の創造展でもそこを感じて貰いたいと思っている。

2015年2月2日月曜日

15回現代の創造展

 
昨日 標記展覧会が飯田美術博物館にて始まり、私も関係者として初日を会場で過ごしました。コンテンポラリー部門も今回で3回目、「だんだん充実してきた」とご意見を少なからず頂戴しかなり満悦の一日でした。さてさて都の塵も通い来ぬこの飯田の地で 十数年続いた半官制展覧会が閉塞感を脱皮して改革に向かうことは甚だ茨の道でした。〝見えるように上手に描くこと″とは関係ない次元で作品が出現して この展覧会に出品する。ということを当初ローカルマスターたちは認めませんでした。しかし、来館者たちの「なんかおもしろい!新鮮だ。」のことばが私たちを後押ししてくれました。もちろん参加してくれた若い作家たちの努力も説得力を持ったと思います。たとえば書の分野でずーっと主体となってくれている石原獨往さんは昨年評論で賞を獲得していて私たちの考え方を底辺から支えてくれています。一人一人が手を動かしそこからうまれる些細な変化に感動して次に進む。そのこころ(喜び)がアートなので そこには上手になるルールなんて存在しないのです。そこのところを若い人たちは気が付き始めて、ローカルマスターたちの主催するお教室には通わないのです。その受け皿的な展示の場が少しでもこの現代の創造展で担えるならと思い彫刻家の山内氏たちと頑張ってきました。それが3年前 コンテンポラリー部門設置の意味だったのです。
ぜひ、美博のホールをかくれんぼ感覚で歩いてみてください。そして作品たちに出会ってみてください。