2017年2月21日火曜日

初日の創造展

 現代の創造展としては17回、コンテンポラリーが立ち上がってからは5年目となったこの展覧会だが 大分 古い体質が改まってきたようにも思えてうれしい。
さて、ジャンルについて今回考えてみたい。
例えば日本画と洋画は 何が違うんだろう?
私は昨年韓国の展覧会では日本画としての出品だった。もっと前は豊橋の日本画展に出品したこともある。自分としては日本画でありたいとは思ったことはない。実際は現代の1日本人が描いている絵でしかないし この展覧会ではコンテンポラリーのジャンルだ。
今回のこの展覧会では日本画部門でも 洋画部門でも 工芸部門でも コンテンポラリー部門に展示しても全く違和感のないものが出てきた。(例えばボールペン画など)数年前の選考会では考えられなかった。展示もかなり自由な感じになってきて息ができる。これがもっと自由になってくれば、コンテンポラリー部門なんてあえて存在しなくたっていいのだ。
日本画と洋画も違いも 同様にそうあるわけでもないから分けなくともいいが・・・。
「日本語が歴然と存在するように日本人独自の感性はある。それを守っていかなくてはいけない」という主張がある。日本画ジャンルがあるべきだという主張の根拠だ。
しかし それは抽象画の私が日本画だと言ってもいいことと同じだと感じる。要は日本人が描けば日本画だろう。
ただ、それぞれの時代の生き方(価値観)の違いによるものの見方は違う。中世は神について切り離せない世界観を持っているから絵もそのように神とその信仰が描かれる。近代はそこからの脱却だ。現実世界が大事なのだ。分析的にもなし、3次元の表現も大事となる。私はデッサンばかりしていた浪人時代直後 イタリア、アッシジのジオットを初めてみたとき、その平面的表現に戸惑ってしまった。しかし今はあの空を描いた青の澄んだ感じにはとても深いすがすがしさを感じる。
見る側が 描いた世界にピントを合わせないと見えてこないのだ。
また、私は高校に入ったころ ゴッホをあまり理解できなかった。文学的なストーリーを聞くたびに理解を拒否していたように思う。でも、人間の心の弱さとか優しさとかを考えたりするようになって目が開けた。なんと素晴らしい画家だったんだと。
やはり 見る人間の心に目が育たないと見えてこないのだ。そして絵はその見る人の変化を捉えてくれる。----そこがアートのアートの由縁だ。
見る側の人は見慣れている絵から ちょっと考え方の地平が変化すると「わからない!」と口にしてしまう。だが近代の勉強法しかしていなかった浪人時代の私がジオットに出合ったように、またゴッホの心に触れたように、自分の中の視点が変わる時がある。
平面的だった中世の絵は神と自分の2次元なのだから解釈は正解なのだ。その手法の生まれてきた必然性は歴然としてあるんだ。
近代の絵が立体的なのは現実を何としてでも把握しなければならなかったからで リアリストであるのは当たり前、アカデミックな表現はこのあたりの哲学であろう。
そして現代は 戦争やマネー経済を経験して そのエゲツナキ現実を乗り越えたいのだ。それがコンテンポラリーのテーマと言える。
この時代性は 現代を生きている我々の心中に比率は異なっているが 多かれ少なかれ持っているのだ。①宗教的なもの(=日本画の平面的にまたは色面で描くことにより見る人の精神にうったえる手法)、②現実生活=洋画などで立体的に描く手法、上手い下手の評価がよくされるのでわかりやすい、③そしてその問題意識(=現代画、現実を写す表現から抜け出し 自由な表現を試る。③-❶初期のそれは 自身の心情をいかに画面に表現するかというテーマのため表現主義になったり、画面構成的になったりといろいろだが 重い表現が多い。たぶん今の多くの出展油絵作家たちはこの範疇にいるかな・・。現代の創造展はここらあたりを洋画部門とコンテンポラリー部門の境界にしているので息苦しいような過重感があるのは洋画部門だ。ーー失礼ーー。
③-❷いまの若い表現者たちはもっとアッサリしていて自我の表現を消し去ろうとしたり 別角度で試みようとしている。ヌメーッとした自我意識の虜から抜け出したいのだ。
そこのところを表現する美術(カッコ内で説明したが)は 全く便宜的に、形式的に、手法的に 分けて日本画①、洋画②と③-❶、コンテンポラリー③-❷として鑑賞できるのではないか。・・・しかしながら この展覧会で描かれている内容はみな現代画(=③)とも言えそう:ゆえに「現代の創造展」。
と考えてみた。









2017年2月18日土曜日

第17回現代の創造展

もう17回となる現代の創造展、地元の下伊那、飯田では最大の美術総合展である。今年も150人もの参加作家を得 明日からオープンとなる。
私たちの世代がいよいよ中心となって運営していく組織となってきた。一昔前の権威主義もだいぶ薄れてきたと思うが まだまだ自由な雰囲気の展覧会にはなっていない。それには 初心者層への指導が未だに師匠の弟子への教え的であるかもしれません。ある段階で対等の人間同士というリスペクトの関係が生まれないまま 形だけが生き続けてしまう。
この展覧会はそんな関係を引きずったものを早く断ち切っていきたいと私は願っている。

2017年2月7日火曜日

久しぶりの墓参

以前にも書いたことがあるが イタリア時代の絵の友人でしばらく前に亡くなった奴がいる。何と表現していいのか・・とにかく戦うことの嫌いな彼だった。だからだろうか彼はとても周りから好かれていたし 私もその一人だった。不思議なくらい人とは競わないから、最初会ったころは「どうやって生きていくんだろう」と不思議でならなかった。
ギター好きで、酒好きで、お人好し、彼のペルージアのアパートはいつも人でにぎやかだった。(日本人ばかりで 彼はなかなかイタリア語が上手くならなかった。)
やがて仕送りが終わり 日本に戻ってきた彼は だんだん悲しい運命に引き寄せられていった。夢のようなイタリアでの暮らしから 日本の厳しい現実の暮らしへの変換は 競う心を持ちたがらない彼には 苦しみを募らせずにはいられなかった。酒に癒しを求めた。写真はそのころ描いた彼の絵、心の痛みが伝わる・・・
私は飯田に住み、彼は佐倉だったので そう頻繁には会えなかったが よく日曜の夜 遅い時間に電話がかかってきたものだ。「また飲もう。」と言って切ったが長い電話はいつも酔っていたのであろう。もう一歩がんばれと周りは言ったが 最後は肝硬変で逝ってしまった。
確かに「弱い」と一言で言ってしまえばそれまでだが 我々日本の社会がだんだん人間を狭量にしていることにも気づき 手を打つべきだ。引きこもりや自殺は寛容さが社会にないからだ。一つの価値観で人を篩いにかけ ある意味の差別をしているではないか・・。
墓石を前に彼の葬式のことを思い出した。家族は密葬にする予定であったが 大変な数(20~30人)の友人が通夜から押しかけ、あげく家に容れきれなくなった。しかたなく彼の行きつけの飲み屋さんに行き 朝まで飲み、彼を偲んだのだった。
世には立派な葬式がたくさんあるだろうが あんな心のこもった葬式はほかになかったなと思い出し、ある意味幸せな人生だったのかもしれないと 今は言える。
墓石には平成14年1月16日没とあった。そうかもう15年なのか・・・合掌