2017年7月4日火曜日

アートは 自由な挑戦という

コンテンポラリーというジャンルは社会的に定着しているのか?
なかなか影が薄い言葉のようですが 文化面ではある程度の世界は出来上がっているかもしれない。
極々一般社会では もっともっとアピールしていかなくてはいけない状況かなと感じ始めてます。
朝日新聞に現代音楽では有名な一柳慧(84歳)さんの「語り」がこのところ出ていて楽しみに読んでいる。----------
若い世代にとって、自由な挑戦がやりにくい時代のなったなと感じているんです。私たちの時代は戦争の影が濃くて 未来が見えず、これからの社会の形もはっきりしなかったので、逆に束縛なく社会に突き進むことができました。
1970年代後半あたりから社会に形が整えられていき、芸術の社会も商業主義という社会の枠組みから逃れられなくなってきた。でも、そうした時代には、よきパトロンの矜持が私たちの実験を名実ともに支えてくれました。≪いけばな草月流の創始者勅使河原蒼風は現代芸術への支援を惜しまなかった。――中略――セゾングループの代表堤清二氏がセゾン美術館を率いた≫―――中略―――
堤さんも世を去り、アートと社会を結んでくれる人も少なくなりました。それでも自分なりに道を見つけ歩き始める若者がいる。ならば、やっぱり光を当ててあげたいと思うんです。--------
一昨年から自腹で、コンテンポラリー賞を作曲家、演奏家、評論家ら、孤立しがちな現代音楽の現場を横断的に結ぶ人たちに光を当てるため創設したそうである。
私は一柳さんより20歳若いので、彼の20代30代の華々しい活躍の時を知らない。ただその文化の残り香だけを吸ってきた。そしていまなんとも言えぬ閉塞感を感じている。
また私達より20歳以上若い人たちは自由な挑戦さえ知らないかもしれない。・・・
いや、もしかしてコンピューターのなかの世界が自由な空間なのだろうか??



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